ドイツ・エッセンが誇る世界で最も美しい炭鉱、世界遺産「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群」

・第一次世界大戦、そして更なる繁栄へ
繁栄を謳歌していたツォルフェアアイン炭鉱ですが、第一次世界大戦におけるドイツの敗北によって、ドイツ経済はまさにドイツの歴史の中でどん底とも言える局面を迎えてしまいます。

しかしそんな局面であっても、ツォルフェアアイン炭鉱には、当時の最新鋭技術がつぎ込まれ、1932年には、この炭鉱のシンボルと言っても過言ではないほど美しいバウハウス様式の第12採掘坑が開かれます。

当時、最も近代的で世界一美しいといわれたバウハウス様式の第12採掘坑の立坑櫓は、後に作られる模範として賛美され、ツォルフェアアイン炭鉱全体でも1937年には産出量が360万トンへと成長していきます。

ツォルフェアアイン炭鉱はまさに、当時のナチスドイツを支えるエネルギー資源の源泉とも言える場所でした。

その凄まじいエネルギーは現在まで残っている当時敷かれていた鉄道路線の数からもはっきりと分かります。





・第二次世界大戦、そして石炭時代の終わり
塹壕(ざんごう)での戦いがメインであった第一次世界大戦とは異なり、第二次世界大戦は性能が飛躍的に向上した兵器によって市民にも大量の死傷者が産まれてしまいます。

ツォルフェアアイン炭鉱のあったルール工業地帯も大規模な爆撃を受け、エッセンも他の地域と同様、都市としての機能そのものを失ってしまいます。

しかしながら皮肉にも戦後の冷戦によって、西ドイツにおける復興の核としてルール工業地帯には資金が投下され、1953年にはツォルフェアアイン炭鉱の石炭産出量は240万トンにまで回復するなど、ルール工業地帯は再び繁栄の時代を迎えることになります。

そんな何度も立ち上がってきたツォルフェアアイン炭鉱にとうとう終わりの日が訪れます。

その原因は1950年代に起きたエネルギー革命です。

第二次世界大戦後の1950年代、中東やアフリカでは次々と大油田が発見されていきます。

石油はもともと石炭に比べ輸送や備蓄、そして活用方法が格段に便利でしたが、さらに大油田が発見されたことにより多くの石炭をエネルギー源とした産業は石油へとシフトしていきます。

そしてとうとう1986年、ツォルフェアアイン炭鉱は操業停止となります。

1986年(昭和61年)と言えば、日本では株価が高騰、いわゆるバブル景気がはじまった年です。

2度の大戦を乗り越えて復活し続けてきた世界で最も美しい炭鉱「ツォルフェアアイン炭鉱」も、エネルギー革命という時代の波には勝てませんでした。







今では、炭鉱やそれに付随する施設は、博物館や美術館、イベント会場へとその役目を変え、多くの人々が訪れる場所へと変貌をとげています。

かつて石炭で繁栄を謳歌したエッセンは、「芸術と文化の街」へと生まれ変わり、今でも多くの人々にエネルギーを供給しつづけています。

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名前 ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群
住所 Gelsenkirchenerstrasse 181 45309 Essen North Rhine-Westphalia Germany
オフィシャルHP https://www.zollverein.de/service/english-page

行き方
エッセン中央駅から107番のトラムに乗車、ツォルフェアアイン駅(zollverein)で下車(乗車時間約15分程度)。