【日本人が知らないニッポン】長篠古戦場で鉄砲演舞に興奮!

「奥三河」というエリアをご存知でしょうか?

大雑把に言えば「JR飯田線の愛知県エリア」なのですが、ここは地域文化圏の境目でもあります。三河、尾張、信州の3文化が混在しているのです。

そしてそのような土地は、戦略的な重要地点でもあります。戦国時代、ここは諸大名の闘争の場として激しく燃え上がりました。

奥三河ウォッチングは、戦国期の歴史を語る上で欠かせません。

・大勢力衝突の場
織田信長、徳川家康、武田信玄。この3人の大名を知らない日本人はいないでしょう。

彼らに共通する点は、「赤味噌文化圏」の出身だということ。こう言うと、やや話が飛躍してしまうでしょうか?

ですが、この3人の出身地はお世辞にも「稲作に恵まれている」とは言えません。武田信玄の支配した甲斐や信濃などは、水田農業に極めて不利な山岳地帯です。ですから、生産の容易な大豆だけで作ることのできる赤味噌が彼らの栄養源でした。

日常的に赤味噌を食していたからこそ、尾張や三河出身の人間が天下を取ることができたという説もあります。

精強な軍隊を持った尾張・三河・信濃の領主は、その総力をかけて覇権を争いました。日本史を揺るがす決戦の舞台、それは奥三河地域の中心である長篠城と設楽原です。

・経済がモノを言う時代
いわゆる「長篠の合戦」は、織田・徳川連合軍と武田軍の一大決戦です。

この戦いは「織田信長の三段撃ち」で知られていましたが、近年の研究では三段撃ちは否定されつつあります。そもそも鉄砲保有数で言えば、両軍大差ありませんでした。

では何が勝敗を決めたかというと、それは「経済力」です。織田信長は最新の貨幣経済を確立させた優秀な執政者でもありました。その一環が「楽市楽座」であり、「関所の廃止」です。貨幣経済発達により蓄えられた富は、軍事力に直接的な影響をもたらしました。

織田・徳川連合軍は、長篠の合戦で大規模な野戦築城を行っています。これは信長が、大人数の土木職人を確保していたという証明です。そしてそれを実行するには、職人たちに給料を払わなければなりません。

信長は、軍事力と経済力を直結させた日本で最初の人物。尾張の兵は弱いことで有名でしたが、それを補って余りある予備兵力をお金で用意しました。

・外国人も興奮の火縄銃演武
毎年5月5日、長篠城では「長篠合戦のぼりまつり」が開催されます。

この日、全国から鉄砲愛好会が集合し、素晴らしい演舞を披露してくれます。日本において古式銃は武道と見なされ、日本の一般市民のみならず外国人旅行客からも絶賛されています。

日本の火縄銃は国際的には「マスケット」と呼称されますが、実質的には火縄銃とマスケットは違うような気もします。欧米のマスケット銃隊は儀仗やパフォーマンスの意味合いが強いのですが、日本の火縄銃隊はまさに「道場」です。北辰一刀流玄武館や不遷流古柔術のように、団体自体が「各人の心身を向上させる」という目的を持っているのです。

ぜひ一度、奥三河の地で火縄銃の演舞を見学してはいかがでしょうか。

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