【世界の廃墟】薩摩半島南端に残る「山川製塩工場跡」から感じる自然のエネルギー

廃墟や工場跡など、かつては人で賑わっていたものが、時間が流れ、朽ち、取り残されて佇む姿にはノスタルジックな美しさがあります。

たとえば、ドイツにある産業遺産として初めて世界遺産に登録されたフェルクリンゲン製鉄所やかつてヒトラーも入院していた巨大な病院「ベーリッツ・ハイルシュテッテン・サナトリウム」、まるで天空の城・ラピュタの世界のような台南「安平樹屋」、インドのリシケーシュにある、かつてビートルズのメンバーが修行したアシュラムなどなど、世界中に人間の歴史の足跡(そくせき)を感じる場所がたくさんあります。

もちろん日本にもそういった遺構はたくさんあります。

例えば、東京都東大和市にある旧日立航空機立川工場変電所や長野県長野市にある松代大本営など、かつての日本人の歴史そのものを感じられる場所があります。

そんな美しい廃墟の中から、今回は鹿児島の薩摩半島の南端にある廃墟とは思えない、まるで生き物のように今でも生き続ける廃墟をご紹介したいと思います。

それが今回ご紹介する、眼前一面に東シナ海を望む岬にかつて製塩所として稼働していた跡地「山川製塩工場跡」です。

山川製塩工場跡を訪れると、塩田に空が映り込んで、まるで鏡のようなパノラマの絶景が広がっています。

山川製塩工場の歴史は第二次世界大戦中に始まります。

当時、輸入塩の減少と工業塩の需要増加により、日本国内の食料塩が不足していました。

政府は昭和17年、それまで国の専売特許であった塩の生産について特例を出し、国内で製塩を活発におこなうよう指示します。

それから1年後の昭和18年頃より温泉熱を利用した製塩事業が山川製塩工場で行われはじめます。

この工場のある鹿児島県指宿市(いぶすきし)付近にわいている伏目温泉(ふしめおんせん)は、泉温が100度と、鹿児島の中でも屈指の高温の温泉のため、この温泉熱と太陽熱を併用して、水分を蒸発させ、効率的に海水から塩を取り出すことができました。

しかし戦争が終わり、朝鮮戦争の特需によってもたらされる高度経済成長が始まる頃から、安価な輸入塩が日本国内に多く輸入されるようになります。

そこにさらに政府の自給製塩廃止措置などの政策転換が追い打ちをかけ、山川製塩工場は事業存続が困難になり、とうとう昭和39年にその短い歴史を閉じることになります。

当時、温泉熱を利用した製塩事業は、全国各地で行われていましたが、最後まで創業したのはこの山川製塩工場です。

泉源と塩田跡が残る場所は全国でも貴重で、当時の歴史を伝える産業遺産でもあります。

そんな山川製塩工場は戦中~戦後産業の、めまぐるしい変遷の跡地ともいえるでしょう。

時代の流れとともに、挑戦し、競争し、情勢が変化し、淘汰され。そんな歴史が偲ばれるようです。

一面の海と青空を背景に、ノスタルジックな美しさを感じるこの場所。

対照的に、もくもくと噴煙を上げる伏目温泉の蒸気は、大地の生命力を感じさせてくれ、変わらない自然のエネルギーと、変わりゆく時の流れの2つに思いを馳せられる場所です。

鹿児島県を訪れる機会があるのであれば、是非足を伸ばして、この美しい廃墟を感じてみてはいかがでしょうか?

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場所:山川製塩工場跡
所在地:鹿児島県指宿市山川福元