欧州文化の「るつぼ」、ラトビアのリガを探索してみよう!
|ロシア、ドイツ、ポーランド、またバルト海を面して北欧諸国に挟まれて並ぶバルト三国。
各国ともに首都の旧市街などが世界遺産に選ばれており、小さいながらもどの国も沢山の魅力が詰まっています。その中でも、ここ2、3年世界中の旅行者から注目を浴びている国がラトビア共和国、そしてその首都リガです。
まず2012年イギリスの旅行代理店First Pointが発表した「最も美しい国」のランキングで、ラトビアが一位。2013年USATODAYの「読者が選ぶ最も可愛いヨーロッパの町」では、首都のリガが一位。
また、リガはEUにより2014年のヨーロッパの文化首都にも選出されています。
では、世界中の人から『バルト海の真珠』と賞賛される、リガの「美しさ」はどのように作り上げられたのでしょうか?大国に挟まれて翻弄されてきたラトビアの歴史に、そのヒントが隠されています。
バルト海沿いに並び、対岸にはスカンジナビア半島があるため、ロシアやドイツなどヨーロッパ大陸の国々と北欧諸国にとって、交易・軍事上、非常に重要な拠点と目されてきました。
また中世初期にラトビアの地域に住んでいた人々は非キリスト教徒であったため、教皇やカトリックの国々からなる十字軍のターゲットとなってきました。
このため、ラトビアの歴史の大半の期間は「強国により占拠」され続ける状況にありました。
まず13世紀から16世紀にかけて、ドイツ騎士団による植民地支配をうけます。16世紀末、ポーランド・リトアニア共和国に組み入れられるものの、ドイツからの影響は強く受け続けます。その後、17世紀から18世紀半ばにかけてスウェーデン領となり、18世紀半ば以降からロシア帝国・ソ連による支配が続きます。
こうした歴史的背景を元に、ドイツ、スウェーデン、ロシアの文化が混じり合いつつも、強国の支配の中でラトビア人としてのアイデンティティを模索し続けていた結果、様々なスタイル・文化の「パッチワーク」が出来上がりました。
現在のリガの町に残る建築物の数々から、その一端を体感することできます。
13世紀に建築された赤煉瓦をベースとしたリガ大聖堂。14世紀に同じく赤煉瓦ベースで建築された火薬塔。15世紀後半から17世紀頃に掛けて建てられた、ゴシック式、オランダルネサンス式、バロック式スタイルの商人の家々(「三兄弟」など)。19世紀後半に建てられたロシア正教の救世主生誕大聖堂。19世紀末に出現したアール・ヌーボースタイルのユーゲント・シュティール建築群、など。今こうして挙げた建物は、ほんの一握りの例にすぎません。
また世界遺産に指定されている「リガ歴史地区」の建築物たちは、第二次大戦中の爆撃を免れ、オリジナルの姿を保ち、美しくたたずんでいます。
なお聖ペテロ教会にある塔に登ると、リガの町をぐるりと見渡すことができます。空中から様々な時代・様式の建築物のパッチワークが見られる絶好の場所です。
昨年2014年からユーロも導入され、欧州の他の都市からリガへの就航便も増えており、より一層アクセスしやすく・旅しやすくなっています。
ぜひ一度、『バルト海の真珠』を探索してみては如何でしょうか?
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