スパイ映画の世界ではないKGBの所業がここに、リトアニア・ヴィリニュスのKGB博物館

中世の面影を残す旧市街がまるごと世界遺産に登録されているリトアニアの首都、ヴィリニュス。

いまや世界各地から多くの旅行者が訪れる美しく穏やかな町ですが、ヴィリニュスにはリトアニアの辛く苦しい時代を象徴するようなスポットがあります。

それが、ヴィリニュスの新市街に位置する「KGB博物館」。

KGBとはそう、「泣く子も黙る」という旧ソ連の秘密警察(秘密謀報機関 NKVD、のちにKGB)のことです。

・大国に蹂躙され続けた小国・リトアニア

現在はEUの一員として多くの観光客を受け入れているリトアニアですが、リトアニアにとって20世紀はまさに暗黒の時代でした。

リトアニアが最初に独立したのは1920年のこと。バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)を支配していたロシア帝国の崩壊に乗じた独立でしたが、自由は長くは続きませんでした。1940年、バルト三国はソ連に占領され、多くの人々がシベリアに追放されました。

第二次世界大戦下の1941年、バルト三国はナチス・ドイツによる占領を受け、その後、1944年にはソ連による再占領を受けます。以来、1991年に独立の回復を果たすまで、ソ連の一部として苦難の時代を歩むのです。

・KGBの本部だったKGB博物館

新市街のゲディミノ大通りに面した大きな白い建物が、現在はKGB博物館として使われている建物。ソ連時代の1940年から1991年の約50年間にわたって、実際にKGBの本部が置かれていた建物です。

博物館の入口は大通り側ではなく、並木道になっている脇のほうにあるので見落とさないようにしてください。入口前には、犠牲となった人々を悼む十字架が立てられています。

この博物館の名称は、日本語では「KGB博物館」ですが、英語では「THE MUSEUM OF GENOCIDE VICTIMS(ジェノサイド犠牲者の博物館)」。

特定の人種や民族、国家、宗教の構成員に対する抹消行為を意味する「ジェノサイド」という語を使っているところに、リトアニア人の恨みや恐怖、苦しみが表れているような気がします。

・ソ連支配下の苦難

博物館内は1階と地下に分かれており、1階ではナチス・ドイツおよびソ連占領下でのリトアニアを解説しています。

リトアニアを占領したソ連は、まず敵対勢力のシベリア追放を行いました。「敵対勢力」とはいっても、そのほとんどが知識人や少しお金のある農民たちといった、一般市民。

劣悪な環境のせいで、シベリアに運ばれる貨車の中で命を落とした人も大勢いましたし、シベリアに無事到着した人々を待っていたのは厳しい長時間労働でした。

この博物館ではソ連時代の書籍やお金、人々が身に着けていた衣服などが展示されているほか、ソ連への抵抗を続けたパルチザンや投獄された人々など、さまざまな写真を交えて当時の様子が解説されています。

なかには、遺体が無造作に積み上げられた見るに堪えないような写真も・・・人を人とも思わない狂気が伝わってきます。

・諜報活動室と牢獄

博物館の地下1階には、KGBが諜報活動に使用していた部屋や、牢獄、拷問部屋などが残されています。

一見何の変哲もない電話室のように見えるこの部屋は、当時KGBにとって重要な諜報活動の一環であった盗聴を行っていた部屋。「敵対勢力」の会話や通話を盗聴し、ソ連体制にとって危険だと判断したら、同じ建物にある牢獄に収監していたのです。

牢獄に連れてこられた人々は、身ぐるみをはがされ、指紋と顔写真をとられました。そして、最初の数日間はしばしば立ち廊に収監されたそうです。

座ることも、トイレに行くことも、食事を摂ることもできない、基本的な人間としての尊厳を奪われた環境で収容者の人格を破壊し、抵抗する気力をそぐことが目的でした。

・恐ろしい拷問部屋

分厚い壁と扉によって完全な防音空間となっており、中に入った人がどれだけ叫び声を上げようと、外には届きません。抵抗する者や拷問に耐え切れず気がふれてしまった者は、骨が折れるほど強く体を締め付ける囚人服を着せられ、壁に固定されました。

ほかにも、氷のように冷たい水を浴びせられる拷問部屋など、まさに身の毛もよだつ恐ろしい空間が、保存・再現されています。

・銃殺が行われた処刑場

一歩足を踏み入れただけで鳥肌が立つような感覚に襲われるのが、実際に銃殺が行われた処刑場。ここで1000人以上の命が奪われたといいます。

処刑場では銃殺の様子を伝える音声が流れているのですが、一人が処刑されたと思ったら、あっという間に次の処刑へと移り、流れ作業的に処刑が行われていたことがわかります。

壁には血の跡や銃弾の跡が残っており、思わず目をそむけたくなるかもしれません。

これらはすべて、スパイ映画の世界ではなく、今からわずか数十年前のヨーロッパで実際に起きていたことなのです。

フィクションではないKGBの所業を今に伝えるヴィリニュスのKGB博物館。楽しい場所ではありませんが、リトアニアの歴史を知るうえで、ソ連支配下の苦しい時代を避けて通ることはできません。

ソ連の圧政の犠牲になったリトアニア人の家族は今なお存命の人も多く、博物館前の十字架に花をたむけにきます。

ヴィリニュスを訪れたなら、決して「遠い昔」ではないリトアニアの辛い歴史に向き合ってみてはいかがでしょうか。

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