心洗われる優しい国、バルト三国のリトアニアってどんな国?

近年、中世の面影が残るヨーロッパの穴場観光地として注目されているのが、「バルト三国」と呼ばれるエストニア・ラトビア・リトアニア。いずれも北ヨーロッパ、フィンランドの南に位置する小国で、バルト海に面しています。

今回はそのうち最も南に位置する国、リトアニアをご紹介します。日本では馴染みの薄い国と思われがちですが、意外なところで日本とのつながりもあるんです。

・リトアニア基本知識

バルト三国の一角を占めるリトアニア共和国は、面積が北海道の約80パーセントにあたる6万5300平方キロメートル、人口およそ285万人の小国です。

主要民族はリトアニア人で約86.7パーセント。ポーランド人5.6パーセント、ロシア人4.8パーセントと続き、少数ながらベラルーシ人やユダヤ人も暮らしています。おもな宗教はキリスト教で、リトアニア人のほとんどがカトリック教徒。公用語はリトアニア語です。

かつてロシア帝国やナチス・ドイツ、ソ連の支配を受けましたが、1990年に独立を回復。2004年にはEUへの加盟を果たしました。通貨はEUの共通通貨であるユーロが使用されています。

・リトアニアへの道

2018年1月現在、日本とリトアニアを結ぶ直行便はなく、ロシアのモスクワやフィンランドのヘルシンキ、ポーランドのワルシャワなどを経由する必要があります。日本からリトアニアを訪れる場合、エストニアとラトビアを合わせてバルト三国の周遊旅行を組むのが一般的。

日本パスポート保持者は、観光目的の場合、90日以内の滞在ならビザ不要。ただし、リトアニアはシェンゲン協定加盟国のため、ほかのシェンゲン協定加盟国とあわせて6ヵ月間で90日以内の滞在でなければなりません。

・気になる治安は?

リトアニアの治安はほかのヨーロッパ諸国と比べて決して悪くはありません。貴重品の管理に注意する、夜遅くにむやみに出歩かないといった当たり前のことに気を付けていれば、犯罪被害に遭う可能性は低いといえるでしょう。

ただし、ヴィリニュスの鉄道駅周辺やバスターミナル周辺はあまり治安が良くないとされているので、油断は禁物です。

・世界遺産の首都ヴィリニュス

リトアニアの首都ヴィリニュスは、バルト三国の首都としては唯一内陸に築かれた町。1323年、ゲディミナス大公の時代にリトアニア大公国の首都となり、東西交易の中継地として発展しました。

今なお中世の面影を残す旧市街は、まるごと世界遺産。パステルカラーの建物が並び、柔和なシルエットのカトリック教会が点在する町には、のんびりとした牧歌的な空気が流れています。

「ヴィリニュス観光=教会めぐり」といっても過言ではないくらい、ヴィリニュスは教会の多い町。ヴィリニュスのシンボルである大聖堂や、ナポレオンも賞賛した聖アンナ(オノス)教会、「視覚的音楽」と称される聖ヨハネ(ヨノ)教会は必見です。

ヴィリニュスにある「もうひとつの国」、ウジュピス共和国や近郊のトゥラカイ城にもぜひ足を延ばしてみてください。

・十字架の丘

リトアニアきっての聖地が、北部の町シャウレイ近郊の「十字架の丘」。2001年には「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」として無形文化遺産に登録されています。

大小の無数の十字架が並ぶ光景は壮絶といってもいいほどで、神々しくもあり、どこか不気味でもある独特の存在感に圧倒されます。

この十字架の丘は、リトアニアにおけるカトリック信仰の象徴で、ソ連時代にはKGBがブルドーザーを使って何度も十字架をなぎ倒し、焼き払ったといいます。

それでもひとつ、またひとつと、無くなるどころか着実に増え続けた十字架の数は5万以上。それぞれの十字架には、巡礼者たちの平和への願いや虐げられた者たちへの思いが詰まっています。

・杉浦千畝ゆかりのカウナス

リトアニア第2の都市カウナスは、「東洋のシンドラー」として知られる日本人外交官、杉浦千畝が活躍した町。1940年、領事代理として旧カウナス日本領事館に勤務していた杉原千畝は、ナチス・ドイツの魔の手が迫る1600人のユダヤ人にビザを発給し、6000人以上の命を救いました。

彼が「命のビザ」を発給したかつての日本領事館は「杉原記念館」として公開されていて、日本とリトアニアの架け橋としての役割も担っています。

古き良きヨーロッパの雰囲気が残るリトアニア。人々の穏やかさや敬虔さに触れるうち、きっと心が洗われたような気になることでしょう。

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