【日本人が知らないニッポン】「天下布武」は岐阜城から始まった

日本史上稀に見る武将の1人、織田信長。

もともと日本人は、強権的な政治家を嫌う傾向にあります。

それは結局「和を以て貴しとなす」という発想が定着しているからで、多少なりとも強引なことをやった者は暗殺される可能性が極めて高いのが日本という国。

ですが、戦乱の世では話し合い至上主義は通用しません。

戦国時代は、室町諸大名の権力が肥大化したのが始まり。それを収束させるには、武力を用いるしかありませんでした。

それを初めて実行しようとしたのが、織田信長でした。

・貨幣経済と信長
岐阜城は、信長が天下布武の可能性を確信した場所です。

金華山の上に立つこの堅固な城からは、城下町を悠々と見下ろすことができます。まるで自分自身が天下を取ったかのような感覚になります。

信長の快進撃は、ここから始まりました。まず彼が行ったことは、当時最新の貨幣経済の導入です。16世紀とは、世界的に見れば大航海時代の真っ只中。ユーラシア世界に大量の銀が流入し、「モノをカネで買う」という行為がより高度化しました。

信長以前の大名は、領土内にある鉱山から多くの収益を得ていました。ですが信長の場合、鉱山採掘よりも外国との交易のほうがより多くの金銀を集められるということに、人生の早い段階で気づきました。

これは紛れもなく、天才の発想です。

・日本が「日本」になったきっかけ
もしも信長がこの岐阜城を手に入れることなく、志半ばで討たれていたら歴史はどう変わっていたのでしょうか?

岐阜は「日本のヘソ」です。言い換えれば、西国と東国の接続点。史実の信長は東国の徳川家康と連携し、西へと歩を進めました。もしそれがなければ、東西の文化的落差はもっと大きくなっていたのではないかと想像できます。

「接続点の欠如」は東国と西国の対立を生み、近代化に必要な「日本の統一化」が果たされなかった可能性もあります。東京と大阪では歴史上の成り立ちが違うのに、なぜ現在では「同じ日本」なのか。

たとえばスペインでは、決して広いとは言えないその国土内にふたつの独立闘争を抱えています。イギリスでも、スコットランド独立の可能性が話題になりました。エディンバラ出身の人は自分のことを「スコットランド人」とは言いますが、「イギリス人」とは言いません。「それは登録上の国籍だ!」と主張します。

ですが、日本では東京都民も大阪府民も自分のことを「日本人」と言います。考えてみれば、不思議です。ではその統一意識が芽生えたきっかけは何かといえば、やはり織田信長ではないでしょうか。

・信長の意志
本能寺の変で命を落とした信長ですが、彼の意志は家臣だった豊臣秀吉に受け継がれます。

秀吉もまた、金華山から雄大な光景を見下ろした男。信長の意図をよく理解していました。

お館様が始めた天下布武の風を止めてはならない。バラバラになっている日本をひとつにできるのは、「日本のど真ん中」で生まれた自分たちしかいない。

戦国時代は、それまで「別の国」だった諸地域が「同じ国」になっていく分岐点でもあったのです。

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