暇だからタイの男子大学生と束の間デートしてみた

『旅は道連れ世は情け』

【意味】物慣れない旅先ではよい道づれのあることが頼もしいし、世渡りにはその時どきの人情が大切なものだ。(三省堂「新明解国語辞典 第七版」より)

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チェンマイのワロロット市場。

食品、衣料、生活雑貨などあらゆるものが売られており、地元の人たちで一日中ごった返している。

軍の運営する射撃場でしばらく楽しんだあと、ホテルに戻る前に「チェンマイ最大」と言われているこの有名な市場に寄った。

地元民御用達なだけあって全ての品物が本当に安い。10日間の旅なのに日本から服を二枚しか持ってきておらず、着替えるものがなくて絶望的に困っていた私はここぞとばかりにTシャツを買い込んだ。12歳くらいの売り子の女の子は「安くしてくれ」という私の言葉を断固として聞き入れてはくれなかった。おもちゃのような見た目の安い腕時計も手に入れたし、材料のよく分からない揚げ物も買って食べた。

そうこうしているうちに日が暮れてくる。

『そろそろホテルに戻ってお風呂に入りたい・・・・・・』

 しかしワロロット市場まで連れてきてくれたトゥクトゥクの運転手はとっくにいなくなっていた。「ホテルまでは歩ける距離だから、あとは自分で帰ってね」と言い残して去って行ったのだ。しかしどの道をどう歩けばホテルに辿り着くのか全然分からない。

その時、目の前を学生服姿の男の子が通り過ぎようとしていた。

「すみません、このホテルに戻りたいんですが、どうやって行けばいいでしょう・・・・・・」

わたしはとっさに声をかけていた。市場にいたほとんどの大人には英語が通じなかったが、比較的若年層ならば英語を話せる人は多い。

「・・・・・・タクシーで行きたいんですか?それとも歩いて行こうとしているんですか?」

私が差し出したホテルの住所を見て、男の子は怪訝な顔をする。とりあえず無視されなくてよかった。

 “by walk” 「歩いて行きたい」と答えると少し驚いていた。

「・・・・・・じゃあ、ついてきてください。僕が案内します」

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ラッキーだと思った。こんなかわいい男の子に道を案内してもらえるなんて・・・・・・!タイに来て二日目で変な髪型になってからは、ラブハプニングなど絶対に起こらないと思っていた。

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「どこから来たの?」とか、「何をしている人ですか?」とか色々質問されたので、日本から来たライターです、というと「すごいね。どんなジャンルの小説を書いているの?」と言われてしまった。

なるほど、英語で「writer」は主に小説家って意味だよな、じゃあフリーライターは英語でなんて言うんだろう・・・・・・とずっと考えていたが、面倒くさくなったので「推理小説を書いています」と答えておいた。

学生服の彼はとても爽やかで若々しく見えたので高校生だと思っていたが、実際は21歳の大学生で、薬学を学んでいるのだという。物腰が柔らかく、ユーモアのセンスも品もある。きっと頭が良くて、家もお金持ちに違いない。「タイ人男性との結婚というのもイイかもな・・・・・・」と、妄想は勝手に膨らんでいく。

チェンマイに何しに来たの?と聞かれたので「ゾウ使いの免許を取りに来た」というと爆笑していた。わたしが気の利いたタイ・ジョークを言ったとでも思ったのだろう。

付き合い始めの男女のように、お互いのことを質問し合った。私も彼も英語が完璧というわけではなかったが、不慣れな言葉で探り探り会話をするのはとても楽しかった。

『いつまでもこの時間が終わらなければいいのに・・・・・・』 気づかれないように歩くペースを落とす。

突然、「お腹すいてる?」と彼が聞いてきた。もしかして私をディナーに誘うつもりなのだろうか。

ワロロット市場で材料の分からない食べ物を色々食べてしまった私のお腹にそこまでの余裕はない。しかし、かわいいタイ人年下男性とのラブ・チャンスを逃す手などなかった。

「食べるより、キミと一緒にお酒を飲みたいな~」

上目づかいでそうアピールする私にフフッと微笑むと、前方にある屋台を指さした。

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すごくパンチの効いた男女が経営する屋台だ。

「あれは『ロティ』っていうインドのパンケーキだよ。食べたことある?」

パンケーキ。正直いま一番欲していない種類の食べ物だ。

青年が期待を込めた目でこちらを見ている。珍しい食べ物を外国人に紹介するという行為にわくわくしているのかもしれない。

「食べてみたい。・・・・・・すっごく食べてみたいよ!」

これがウワサのジャパニーズおもてなし。というかただの「NOと言えない日本人」だが、彼がすごく嬉しそうな顔をするのでなんとなくニヤける。

インド人に向かって早口のタイ語で注文をする男の子。その隣でボーっと突っ立っている私は周囲の人から恋人のように見えるだろうか。

「キミとは結婚できる気がしない」

かつての恋人は去り際にこんな言葉を残していった。

「僕は君のお兄さんでも父親でもないんだよ」

いつも相手に頼るばかりでぼんやりしているだけの私に彼らは愛想をつかしてどこかへ行ってしまう。その繰り返しに疲れて「もう恋なんてしない」とマッキーのように投げやりになっていた。

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「ほら、これがロティだよ」

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「ね、おいしいでしょ?こっちの味も食べてみなよ」

キュートな男子にご馳走してもらうインドのスイーツは、下心丸出しの年上男性と食べる北京ダックより何倍も美味しかった。正直ちょっと胃にもたれる感じの油加減だが、そんなこと気にならない。全然気にならない。

「ガールフレンドはいるの?」と聞く私に「いないよ」とはにかむ姿がまたカワイイ。

30分以上は歩いただろうか。やっとホテルに辿り着いた。

「住所を見た時、とても遠かったから、キミが『歩く』と言ったときはさすがに驚いたよ」

『遠いと分かっていて、私にここまで付き合ってくれたなんて・・・・・・』

どうしよう、離れたくない。その時、彼がおもむろに携帯電話を取り出した。

「ねえ、LINEやってる?」

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「LINE教えてよ。困った時はいつでも僕に連絡して。“いつでも”だからね」

私はこの時ほどLINEという名のメッセージアプリケーションに感謝したことはない。

初めて会った外国の男の子とも簡単に繋がることができる。文明がアクロス・ザ・ユニバースしてくれたおかげで鎖国状態の私の浦賀も御開帳となった。

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「道案内してくれてありがとう~」というメッセージを入れる。テンションが上がり過ぎて思わずバカボンのスタンプを送ってしまい、少し後悔する。

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「あなたともう一度会ってお酒を飲みたい」「22日までチェンマイにいる予定だから、暇なときLINEして!」

もう二度と会えないかもしれないから、と年下相手に猛アピールする姿が少し切ない。

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「OK、暇なときはすぐに連絡を入れるよ」

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わたしは待っていた。男の子からの連絡が来るその時を。

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ゾウが絵を描くのを眺めている時も、彼のことを忘れることはなかった。

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牛車に乗ってゾウのお尻を見ている時も、

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ゲイのバスガイドさんの美脚を見ている時も彼のことを思った。

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そう、わたしはバス停で、チェンマイからバンコクへ戻るバスを待っていたのだ。

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「ごめん、僕忙しくて、キミに会えそうにない。気をつけて日本へ帰ってね」

ショックだった。

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タイ人の彼が若槻千夏プロデュ―スのキャラクターのスタンプを使っていたことにもショックだったが、絶対にまた会えるような気がしていたからだ。

会話も弾んでいたし、とても楽しい時間だったのに。でも所詮わたしはただの「困っていた外国人」で、彼にとっては助けてあげるべき対象でしかなかったのだろう。

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そうして日本へ戻ってきた。東京の10月はタイと違ってひんやりしていた。「チェンマイ」という文字の入ったパンダのTシャツの上から、マウンテンパーカーを羽織る。同じ飛行機に乗っていた日本人たちが口々に「楽しかったね」と言いながら日常の生活へと戻って行くその姿を横目に、私はいつまでも窓から外を見ていた。タイ国際航空の飛行機でもらった蘭の花のコサージュが、彼のあの笑顔を思い起こさせるのだった。

 

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