北の地にある巨大遺跡で、ミステリーハンターに!日本の古代史に思いを馳せる
|長い歴史を持つ日本。これまでに沢山の遺跡が発掘され、古文書が読み解かれ、我々の祖先がどのように暮らしていたのか、解明が進んでいます。
とはいえ、実際には全てが解き明かされた訳ではありません。新たな遺跡が発見されて、これまでの説が覆ったこともあるでしょう。
また書物や遺跡から、様々な推測ができてしまい、諸説分かれたままということも。例えば邪馬台国。九州か近畿にあったという説があり、まだ議論が続いています。
現在、日本全国各所で、様々な遺跡の発掘調査が続いています。その中でも、毎年調査が続く青森県の三内丸山遺跡(縄文時遊館)では、一部復元された遺跡を見学することができます。
この三内丸山遺跡とは、約4千~5千年前に実在したとされる、縄文時代のものとしては最大級とされる巨大集落跡です。
その大きさは、現時点で何と東京ドーム8個分で、今後更に広がる可能性を秘めています。1990年代初め、県営野球場の建設前の調査により、この場所に巨大遺跡があることが確認されました。
それ以来、毎年調査が続いており、2000年には国から特別史跡に指定されています。
石器時代の人々は食糧となる動物を追いながら、移動して生活していましたが、縄文時代に入ると特定の場所に定住して暮らすようになります。また集団で定住していく過程で、村という概念が生まれました。
このため、集落の中には、沢山の竪穴式の住居、大きな催事/集合場、大きなゴミ捨て場、多数のお墓などが見つかっています。また土偶や土器も多数出土されています。
また遺跡発掘調査中に、栗、くるみなどの殻などの栽培植物が見つかっており、食糧として必要なものを自分たちで栽培していたとの説も出ています。
その他、この場所が、単なる集落に留まらず、日本の北の大事な交易センターとして機能していたのではとの説もあります。
何故ならば、当時新潟県糸魚川周辺に産地があり、全国に運ばれた後のあるヒスイの玉や、岩手県・千葉県に産地があった琥珀など、様々な貴重な装身具がここで見つかったためです。
なおこの遺跡には、地元のボランティアガイドさんがいらっしゃいます。遺跡に対する情熱と知識に溢れ、それぞれの遺跡跡を一緒に回って見せるだけではなく、現時点で明確になっている事実や背景、発掘調査の裏話、そして未解決の謎についてもお話して下さいます。
これまでの調査を通じて見つかった様々な事実・発見をつなぎ合わせ、当時の様子が少しずつ再現されているものの、実際には沢山の謎が残っています。これらの謎があるからこそ、古代の人々や社会に関して楽しく様々な想像を膨らませてくれます。
日本人のルーツにつながる古代のミステリーを解きほぐす旅、ぜひ一度お試しあれ!
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Via : 公式ホームページ 特別史跡「三内丸山遺跡」 http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/