【世界の絶景】世界遺産のローマ皇帝の宮殿の中心、数奇な運命をたどったクロアチア・スプリットの大聖堂

クロアチアのアドリア海沿岸最大の港町、スプリット。ザグレブとドゥブロヴニクの間に位置し、クロアチア屈指の観光都市として、多くの旅行者を迎え入れています。

スプリットの旧市街は、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がもとになったという珍しい起源をもつ街。ローマ時代の建造物と中世の建物が融合した街並みは、他にはない魅力で訪れる人々の心を掴んでいます。

そんなスプリットのシンボル的存在が、旧市街の中心地「ペリスティル」と呼ばれる広場に面して建つ聖ドムニウス大聖堂。「スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿」の一部として、世界遺産に登録されています。

この大聖堂はもともと、4世紀にディオクレティアヌス帝の霊廟として、皇帝自身によって建てられましたが、破壊や増改築を経て、のちにカトリックの大聖堂として使われるようになりました。

キリスト教の聖堂としては珍しい、8角形をした聖ドムニウス大聖堂。それほど大きくはありませんが、内部は貴重なキリスト教美術で埋め尽くされています。

円形の空間が独特の荘厳な雰囲気を醸し出す大聖堂内部。

重厚な8本のコリント式の円柱が、ローマ時代の名残を感じさせます。太い円柱の上には、さらに小さな8本の柱が配置され、柱とその周囲を彩る精緻な彫刻の数々は圧巻。

この大聖堂には、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教弾圧で殉教したサロナの司教、聖ドムニウスが祀られています。

正面に設けられた聖ドムニウスの祭壇は、18世紀にバロック様式で造られたもの。黄金色の彫像や、絵画、貴石で飾られた祭壇は息を呑むほどの豪華さです。

その背後にある木製の聖歌隊席には、気が遠くなるほどの緻密な彫刻が施されていて、見れば見るほどに引き込まれてしまいます。

それにしても、ディオクレティアヌス帝の霊廟として建設された建物に、彼が迫害したキリスト教の聖人が祀られているなんて、なんとも奇妙な話だと思いませんか?

実は、かつては大聖堂中央部にディオクレティアヌス帝の石棺が安置されていました。ところが、生前キリスト教を迫害した皇帝に恨みをもつキリスト教徒の手によって、石棺は破壊され、皇帝の遺体もいまだ行方不明のままとなっているのです。

自らの遺体の代わりに、自分が迫害したキリスト教の聖人がここに祀られることになるなんて、ディオクレティアヌス帝は夢にも思わなかったことでしょう。

現在はシンプルで力強い印象の天井は、かつてはきらびやかなモザイクで覆われていたといいます。

ディオクレティアヌス帝の権威を象徴するための飾りは排除され、キリスト教の祭壇や、宗教美術に置き換えられたため、皇帝の遺体が安置されていた当時と今とでは、ずいぶん様子が変わっています。

主祭壇の奥にある宝物室には、聖ドム二ウスの聖遺物や、司祭の衣装、聖杯などの豪華な宝物の数々が展示されています。

ペリスティルから階段をのぼったところにある、入口の扉も見逃せません。

1214年に制作されたオーク材の扉は、ロマネスク様式の彫刻の傑作として名高く、受胎告知からキリストの昇天まで、28の聖書の場面が描かれています。

大聖堂内部を見学したら、今度は付属の鐘楼にのぼってみましょう。13~14世紀に建設された高さ60メートルの鐘楼の上からは、360度のスプリットのパノラマが楽しめます。

港に面したスプリットの旧市街。オレンジ色の屋根と、石造りの白い建物が連なり、中世の面影を色濃く残す街並みに、思わず歓声を上げたくなります。

そのところどころに残るローマ時代の建造物からは、1700年にわたって息づいてきたスプリット特有の歴史と文化が垣間見えます。

目の前の港では、絶えずボートやフェリーが行き来し、活気に満ちた港町としての表情も感じられることでしょう。

数奇な歴史をたどり、時代によってその姿を変えてきた大聖堂は、ローマ時代から現在にいたる、スプリットの歴史を映し出しているのです。

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