【世界遺産】王の居城から処刑場へ、血塗られた歴史をもつイギリスのロンドン塔

テムズ河畔にどっしりとたたずむロンドン塔は、世界遺産にも登録されているロンドンを代表する観光スポットのひとつ。

イギリスに留学した経験をもつ夏目漱石も「ロンドン塔は英国の歴史を煎じ詰めたものである」と書いたほど、イギリスとロンドンの歴史が詰まったスポットです。

「ロンドン塔」という名前から、タワーのようなものだと思われることもありますが、正式名称は「女王陛下の宮殿にして要塞」。さまざまな建物からなる複合建築物で、「塔」というよりは「城塞」といったほうがその実態に近いといえるでしょう。

1000年近い歴史をもつロンドン塔だけに、華やかな歴史の陰には背筋も凍るような血塗られた歴史が秘められています。

・世界遺産の城塞「ロンドン塔」

ロンドン塔の歴史は、1066年に即位したウィリアム征服王が、ロンドンを守るための要塞の建設を命じたことにはじまります。

1241年に、現在「ホワイト・タワー」と呼ばれている最初の塔が完成。

その後、歴代の王によって増改築が繰り返され、最初の塔はホワイト・タワーと呼ばれるようになり、「ロンドン塔」は城塞全体を指す名前となりました。

王の居城となったロンドン塔には、王立動物園や天文台、造幣所まで設けられ、15世紀後半からは牢獄や処刑場としても使われるようになります。王族のほか、ジェフリー・チョーサー、トマス・モアといった多くの著名人が投獄され、ここでその生涯を終えました。

・処刑場跡

1509年に即位したヘンリ8世は絶対王政を確立して国の発展の基礎を整えた一方で、世継ぎの男児を産むなかった王妃アン・ブーリンに姦通罪の濡れ衣を着せ、斬首刑に処しました。

それ以来、ロンドン塔周辺では「アンを先頭にした行列が、礼拝堂の周りを何度も回り、光とともに消え去った」「アンを乗せた舟がテムズ川を下っていくのを見かけた」など、無念の最期を遂げたアン・ブーリンの亡霊を見たという噂がささやかれるようになります。

この種の目撃談は今も後を絶たないとか。アン・ブーリンが処刑された場所には、現在ガラス製のメモリアルが設置されています。

・ブラッディ・タワー

「血染めの塔」の意味をもつブラッディ・タワーは、高貴な身分の囚人が幽閉されていた場所。実際の処刑は外の広場で行われることが多かったそうですが、ここはエドワード4世の息子ふたりが殺害された場所と言い伝えられています。

1483年、エドワード4世の死後、彼の息子であるエドワード5世幼王とその弟リチャードがロンドン塔で即位の日を待っているあいだに行方不明になりました。

それからおよそ200年後、ホワイト・タワーのそばで2人の少年の遺骨が発見されました。それがエドワード5世幼王とリチャードの遺骸だと信じた当時の国王チャールズ2世は、彼らをウエストミンスター寺院に埋葬しました。

真偽のほどは定かではありませんが、事件の後王座に就いた叔父のリチャード3世が、王座を手に入れるために兄弟を暗殺したといわれています。

・トレイターズ・ゲート

「反逆者の門」という意味で、多くの囚人たちがテムズ川からこの門を通ってロンドン塔内にある牢獄に入れられました。当時は「この門をくぐると生きては帰れない」といわれていたほど。

のちに女王となったエリザベス女王も反逆の疑いでこの門をくぐって投獄されましたが、潔白が証明され無事に脱することができました。

・渡りカラス伝説

ロンドン塔にまつわる面白い伝説が、「ロンドン塔からカラスがいなくなったとき、王政は没落し、塔が崩れ落ちる」というもの。

そのため、ロンドン塔では伝統的に渡りカラスが飼育されており、専門の「レイヴン・マスター(ワタリガラス専門家)」が世話を行うという力の入れよう。現在でも予備を含めた7羽のカラスが飼われています。

これらのカラスは、ロンドン塔から出て行かないように羽の一部を切って飛べなくしてあるとか。

ロンドン塔には、ほかにも世界最大級のダイヤモンド「アフリカの星」がはめ込まれた王笏をはじめ豪華な宝物の数々を展示する「ジュエル・ハウス」など数多くの見どころがあります。

時間が許せば、ロンドン塔の衛兵「ビーフィーター」によるツアーに参加して、さまざまなエピソードを聞きながら塔内をめぐってみては。

ロンドン塔が世界中の人々を惹きつけてやまないのは、「王の居城だった」「世界遺産である」というだけでなく、そこに光と陰をあわせもつ人間ドラマがあるからなのでしょう。

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