【日本再発見の旅】山口県・岩国、世界遺産を目指す錦帯橋で造形美と先人の知恵に触れる
|広島県との県境に接する山口県岩国市。そのシンボルが、東京都中央区の日本橋、長崎県長崎市の眼鏡橋とともに「日本三名橋」のひとつに数えられる錦帯橋です。
錦帯橋は、1673年、岩国城と城下町をつなぐ橋として、岩国藩主・吉川広嘉によって建造されました。
5連のアーチ橋と周囲の自然が織り成す美しい景観から国の名勝にも指定されており、春は桜、夏は鵜飼いや花火、秋は紅葉、冬は雪化粧と、四季折々の情緒あふれる風景が楽しめます。
錦帯橋について特筆すべきは、その造形美と独自の工法。当時の土木建築技術の粋を集めて造られた橋だけに、アーチ部分の精巧さと強度に関しては、現代力学においてもまったく遜色のないものです。
まさに日本が世界に誇る希代の木造橋。その証として、地元では錦帯橋を世界遺産に登録にするための活動が進められています。
錦帯橋が造られる以前、岩国城と城下町を隔てる錦川は暴れ川として有名で、橋を架けても洪水で流されるという事態が繰り返されていました。
そこで、「流されない橋を」という悲願を果たすべく建設が始まったのが錦帯橋なのです。とはいえ、川幅約200メートルの錦川に洪水でも流されない橋を架けることは簡単ではありませんでした。
そんな折、吉川広嘉は明の僧から西湖の絵図を入手します。そこに描かれていた5つの小島を繋ぐ6つのアーチ橋から、錦帯橋の着想を得、研究を重ねた結果、ついに構想が実現したのです。
錦帯橋は重力に逆らわない自然な形状をしているため強度が高く。支柱のない1つのアーチで60トンの重さに耐えることができるといいます。
とはいえ、この錦帯橋が建造以来一度も流されなかったわけではありません。
建造翌年の1674年には、洪水で流失。すぐに再建され、その後276年間は無事でしたが、1950年の台風で再び流され、またも再建されます。その後、2001年~2003年にかけての「平成の架け替え」を経て現在に至っています。
現在の錦帯橋は4代目にあたるわけですが、江戸時代から変わらずに伝えられてきた工法は健在。江戸時代からの図面が保存されているだけでなく、木材のクセを踏まえたミリ単位の微調整も職人から職人へと口頭伝承されてきました。
橋の全長は193.3メートル、アーチ部分の最高点は川床から約13メートルもある錦帯橋。一度は写真で見たことがあるという人も多いはずですが、実際に目にしたときの感動は格別。
周囲の美しい自然風景とあいまって、類まれなる建築美が江戸時代からずっと変わらず維持されていることに感動を覚えずにはいられません。錦帯橋と対面するだけでも、岩国を訪れる甲斐があるというもの。
錦帯橋は実際に歩いて渡ってみることもできます。アーチ部分は木の板が階段状になっていて、現代的な橋には見られないアップダウンの激しい構造。
「江戸時代の人々も同じようにこの橋を渡っていたんだな」と思うと、不思議な感慨に包まれます。
錦帯橋と並行して錦川に架かる錦城橋から錦帯橋の姿を眺めるのもおすすめ。リズミカルなアーチが美しい錦帯橋と、周囲の山々、清流錦川が一体となった景観は、「絵画のよう」という表現がぴったり。
夜、ライトアップされた姿も風情たっぷりで、いつ見ても、何度見ても、さまざまな表情で見る者を楽しませてくれます。
実際に目にすると、錦帯橋が「日本が世界に誇る木造橋」と言われるゆえんがわかるはず。
いつか、錦帯橋が世界遺産に登録される日がくるのでしょうか。ひとつ確かなことは、世界遺産に登録されてもされなくても、錦帯橋は日本人の知恵と美意識を受け継ぐかけがえのない財産だということです。
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