都会の高層ビルの谷間にあるゼロマイル標識が示す日本の鉄道の原点「旧新橋停車場」
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世界で最も安全性と正確性を兼ね備えた高速鉄道と言えば新幹線。
現在では世界一とまで呼ばれている新幹線ですが、日本の新幹線が世界一と呼ばれるに至るまでには様々な歴史がありました。
そんな新幹線へとつながる日本の鉄道の歴史が、どこで産まれたか、ご存知でしょうか?
今回は、今の日本を支える鉄道インフラが産まれた場所である「旧新橋停車場」についてご紹介したいと思います。
・日本鉄道の歴史
第15代将軍・徳川慶喜による大政奉還(1867年)から5年後、まさに日本が激動の幕末から明治へと歩みを進めようとする最中であった1872年(明治5年)9月、新橋〜横浜間の29kmを結ぶ日本で初めての鉄道が開通します。時代が江戸から明治に変わったとはいえ、まだまだ日本は西洋の文化が入りはじめた段階。鉄道の開通は日本にとって非常に重要なプロジェクトの1つでした。鉄道に関する知識のなかった日本は、イギリスからエドモンド・モレルという優秀な技師を招き、一から鉄道の技術を学びます。鉄道建設のための資金や必要な技術だけでなく、蒸気機関車や客車、さらには線路や枕木そして燃料の石炭など、鉄道建設や運用に必要な資材や技術など、そのすべてをイギリスから輸入して、ようやく新橋〜横浜間の開通にたどり着きました。当時、新橋〜横浜間をわずか53分で走り抜けた鉄道は、日本中に大きな衝撃を与え、2年後に神戸と大阪の間、さらにその3年後には大阪と京都のあいだで開通し、その後、全国各地で港と商業地を結ぶ重要なインフラ構築へとつながっていきます。開業当時は29kmしかなかった鉄道網も、たったの30年余りで7000kmにまでおよび、その後の日本近代化において重要な役割を果たしていくことになります。
・日本鉄道発祥の地
実はそんな日本の鉄道の歴史がはじまった場所が、高層ビルが立ち並ぶ街、汐留にあります。それが、高層ビルの谷間に鎮座する西洋風の建物が「旧新橋停車場」です。かつて日本で最初の鉄道ターミナルであった新橋停車場があった場所に、当時の外観を忠実に再現し「旧新橋停車場」は建設されました。館内には鉄道に関する歴史的資料が並んでいますが、特に注目すべきは旧駅舎跡より発掘された遺構の数々。当時の面影を肌で感じることができる貴重な資料のため、日本人であるならば必ず一度は見ておくべき歴史的遺産といえるでしょう。
・駅弁の歴史
「旧新橋停車場」では、定期的に鉄道にまつわる企画展も行っており、現在は「駅弁むかし物語ーお弁当にお茶ー」という企画展を開催中です。地域の特産品が詰め込まれた旅行に欠かせないグルメ「駅弁」。その発祥の場所に関しては神戸説、大阪説、上野説など諸説あるものの、通説では1885年の宇都宮駅と言われています。当時に販売していたものといえば、握り飯に香の物を添えて竹の皮で包んだシンプルなもので、現在のような趣向をこらしたものとは程遠いものだったそうです。1885年の誕生から130年の月日をかけて、容器も竹の皮から陶器やプラスチックに変わり、少しづつ進化をとげていく駅弁の歴史は、日本の技術力の進化とも密接に関連しており、駅弁を通じ日本の発展の歴史も感じることができる内容となっています。
・合わせてみておきたい「浜離宮前踏切」
「旧新橋停車場」から徒歩5分程度の場所には、「浜離宮前踏切」という銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機があります。国鉄汐留駅と築地市場を結ぶ貨物専用の踏切として使われていたもので、汐留駅の廃止とともに役目を終えました。しかしながら銀座には珍しい鉄道踏切信号機として地元の人々に愛されていたため、現在のような状態で保存されることになったそうです。「旧新橋停車場」を訪れた際は、銀座に残る珍しい踏切も一緒に見学してみてはいかがでしょうか。
「世界一安全で正確」と評される日本の鉄道。
世界に誇るべき日本の鉄道は、ここ汐留からはじまり、日本中へと広がっていきました。
近年では、日本の鉄道システムが海外に輸出されることも増えてきており、その活躍の場は日本というフィールドを飛び越え、世界にまで広まりつつあります。
汐留を訪れる際は、日本鉄道の歴史の始発地点「旧新橋停車場」を訪れてみてはいかがでしょうか。
きっとそこでは、多くの人々が作り上げてきた、日本の鉄道の原点、そのものを感じる事ができるに違いありません。
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名前 旧新橋停車場
住所 東京都港区東新橋1丁目5−3
営業時間 10:00-17:00
定休日 毎週月曜日 (ただし、祝祭日の場合は 開館、翌火曜日が休館)
お店のHP http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/
名前 浜離宮前踏切
住所 東京都中央区銀座八丁目21番26