静かな緑の森に残る悲しきベルリンの歴史が詰まった場所。グルーネヴァルト駅・17番線プラットフォーム
|ベルリンの西端にあるグルーネヴァルト(Grunewald)地区。
ゆったりと流れるハーフェル川に育まれた緑豊かな森に隣接する閑静な住宅街、そんな場所に、ベルリンの悲しき歴史をかいま見る事ができる場所があります。
それが今回ご紹介する場所、グルーネヴァルト(Grunewald)駅の17番線プラットフォームです。
・緑の森、グルーネヴァルト(Grunewald)とは
長期の塹壕戦をたたかった第一次世界大戦の敗戦によって、ドイツは経済的にも民衆心理的にもまさにどん底の状態を経験します。
その当時、希望として民衆に選ばれたのが、アドルフ・ヒトラーでした。
ヒトラーは天才財政家シャハト博士を招聘し短期間でハイパーインフレから脱却、さらにアウトバーンをはじめとする公共事業への投資を積極的に行う事で、信じられないほど驚異的なスピードで国力を回復させていきます。
そしてヒトラーの夢の1つでもあった世界首都ゲルマニア計画の立案と実行を押し進め、そのグランドデザインのもと、当時のベルリンは世界的な大都市へと成長していきます。
そんな中、世界的な大都市へと成長するベルリンから、多くの富裕層が静寂と平穏をもとめて移り住んだ場所があります。
それが緑の森、現在のグルーネヴァルト(Grunewald)地区なのです。
・グルーネヴァルト(Grunewald)駅の17番線
グルーネヴァルト(Grunewald)駅を訪れると、駅舎からほど近い場所に、現在は使われていないプラットフォーム、17番線があります。
実はこの場所、たくさんのユダヤ人が強制収容所に送り込まれる事になった始発駅と言われています。
駅構内から空を見上げるように階段を上っていくとプラットフォームの両脇に敷き詰められた鋼鉄製のプレートがあります。
この駅が始発駅となったその証拠として、敷き詰められた鋼鉄製のプレートには強制収容所へ向かって列車が出発した日付と輸送された人数、そして行き先が刻まれています。
プレートの数は全部で183枚で、そのほとんどにLODZ(ウッチ)もしくはTHERESIENSTADT(テレージエンシュタット)と刻まれています。
LODZ(ウッチ)は当時ナチス・ドイツの占領後リッツマンシュタット(Litzmannstadt)」と改称された街である現在のポーランドの都市Łódź(ウッチ)を指し、もう1つのTHERESIENSTADT(テレージエンシュタット)は当時の強制収容所の中継地であったチェコ北部の小さな街、テレジーンを指しています。
そして今でもこの地にはこの場所から旅立った人に向けて花がたむけられています。
ベルリンの中心部から電車で15分程度の閑静な住宅街グルーネヴァルト(Grunewald)。
悲しい歴史を持つこの場所の風景は、これからもずっと変わる事なくその事実だけを伝えてくれるに違いありません。
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行き方:
S5、S7、S75のいずれかに乗車して、ベルリン中心部から約15分グルーネヴァルト(Grunewald)駅下車、徒歩1分程度