ポーランド・ワルシャワで天才音楽家ショパンゆかりの地をめぐる旅

偉大なる音楽家ショパンはポーランドで生まれました。

とりわけ首都のワルシャワはショパンにゆかりの深い土地です。

ショパンはワルシャワ近郊の村で生まれ、生後7ヵ月の時に家族でワルシャワへと移住しました。ショパンはその後20歳までの人生の前半をワルシャワで過ごします。

ショパンの音楽家としてのキャリアもワルシャワでスタートしました。6歳でピアノを習い始め、7歳で初めての作曲をするなど「ワルシャワの天才児」と呼ばれ注目を集めるようになったのです。

ショパンは1831年にパリに移り住み、「パリで最も著名な人物の一人」として認められた後39歳でその短い生涯を終えましたが、祖国ポーランドへの想いを忘れることはありませんでした。

旧市街の王宮広場から南へ延びるクラクフ郊外通り周辺にはショパン関連の見どころが集中しています。

天才音楽家の生涯に想いを馳せながら、ショパンの足跡をたどってみましょう。

ショパンがはじめてのピアノ演奏会を開いたのが現在はポーランドの大統領官邸となっている大統領宮殿。

当時1818年、ショパンわずか8歳のときのことでした。このデビュー演奏会で聴衆の喝采を浴び、ワルシャワの報道陣にも注目されるようになったのです。

大統領宮殿のほど近くにあるのが17世紀にフランスのシスターのために建設されたヴィジトキ教会。

ここは当時学生だったショパンが日曜ミサのオルガにストをつとめた場所であり、そのミサで独唱していた初恋の相手、コンスタンツィアに会っていた場所でもあります。ショパンはよく即興で演奏することがあり、夢中になりすぎるあまり教会関係者に止められたこともあったのだとか。

ショパンが学んだワルシャワ大学。門には「フレデリックショパンは1817年から1827年までワルシャワ大学のキャンパスで暮らし、学んだ」とのプレートが掲げられています。

ショパン一家が暮らしたポレクトルスキ館も大学の敷地内にあり、建物の外壁にはショパンのプレートが設置されています。

建物内部を見ることはできませんが、大学構内は自由に散策することができます。

ワルシャワ大学の向かいにあるのは1827年からショパン一家が3番目の住居として使っていたチャプスキ宮殿。

ここはショパンにとってワルシャワにおける最後の住まいであり、ショパンにとっては初めて自室をもち作曲に集中することができた場所でもありました。現在は美術アカデミーとなっており、建物3階の一角が「ショパン家のサロン」として公開されています。

ショパン関連の見どころ付近には2010年のショパン生誕200年を記念して設置されたショパンのベンチが置かれています。

ボタンを押すとショパンの音楽が流れなんとも優雅な気分が味わえます。それぞれ異なる音楽が流れるようになっているので、ぜひ見つけてみてくださいね。

クラクフ郊外通りでひときわ存在感を放っているのが、19世紀初頭にはワルシャワ最大のカトリック教会であった聖十字架教会。

ここにショパンの心臓が安置されています。

ショパンの心臓が埋められているのは本堂の左手前にある石柱の下。


ショパンはパリで亡くなりましたが、自分の亡骸をポーランドに戻してほしいと遺言を残しました。政治的な理由でそれは叶いませんでしたが、心臓だけはワルシャワへと運ばれ、ここに安置されることとなったのです。

クラクフ郊外通りから続く新世界通りを左に曲がるとたどり着くのがショパン博物館。

ショパンの直筆の手紙や譜面が展示されているほか、ショパンの生涯を最新設備を駆使して紹介しています。天才音楽家としてのショパンだけでなく、等身大の一人の男性としてのショパンが感じられ、ファンならずとも楽しめるスポットです。

中心部からは外れますが、広大な敷地をもつワジェンキ公園にはショパンの大きな像があり、こちらもファンならぜひ訪れておきたい場所です。

こうしてショパンゆかりの地をたどれば、ショパンの生涯、人間性がよりリアルに、身近に感じられるはずです。ショパンが決して忘れることのなかったワルシャワの街をあなたもたずねてみませんか。

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