【日本人が知らないニッポン】徳川家康元服の神社で初詣
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今年の大河ドラマ『おんな城主直虎』は、今の浜松市から静岡市にかけてのお話です。
16世紀中葉、このあたりの地域を支配していたのは今川氏でした。あの徳川家康ですら、青年期までは今川氏の人質という立場に過ぎません。それだけ今川義元という男は強大な力を持っていたのです。
言い換えれば、今川氏の本拠地である駿河府中には常に大きな富が転がり込んでいたということ。
その富の象徴が、今の静岡市葵区に所在する静岡浅間神社です。
・静岡市の「霊山」
静岡市内中心部にある賤機山は、古来より「聖なる山」と見なされてきました。
Google Earthで静岡市の上空写真を見てみると、平野部の北から針で突き刺すように山がせり出しています。
これが賤機山なのですが、科学第一の視点で見ればこれ以上邪魔な存在はありません。いっそのこと、重機を繰り出して整地してしまえばいいのでは? とも思えます。
ですが、人類社会は科学的要素だけで計ることはできません。
駿府に住む人々は、賤機山を「神が住まう場所」として神聖視し、この地に様々な宗教建築物を築き上げました。それが現代になって、「静岡浅間神社」という形で統合されたのです。
・家康の誓い
徳川家康は、この神社の熱心な信奉者でした。
彼がここで元服式を執り行ったことは、あまり知られていません。その信心深さは生涯変わることがなく、神社は江戸徳川の時代に移ってからも丁重に扱われていました。
ところが、家康はこの神社の建物を焼き払ったことがあります。
非常に矛盾した行為に見えるかもしれませんが、家康にして見ればまさに「苦渋の決断」というべきものでした。
織田信長と協力して武田攻めを行った際、当時武田領だった駿府を奪取するべく兵を進めます。徳川と武田の激しい攻防が、賤機山で繰り広げられたのです。
その際、神社が敵の要塞になってしまうことを恐れた家康は、「必ず再建する」と誓いを立てて社殿に火をつけます。戦術指揮官の立場からすれば、こうするより他にありませんでした。ですが同時に、家康は神前の誓いを破ることなく、より荘厳な社殿を慶長年間に建てています。
・駿府の風土が天下人を育てる
正月になると、静岡浅間神社は大勢の初詣客でごった返します。
静岡市民にとっての徳川家康は、当然ながら郷土の英雄です。ですが全国的な家康のイメージは「古狸」「ケチ」「陰険」といった具合で、きらびやかな印象のある織田信長や豊臣秀吉に人気を取られていたというきらいがありました。
ですが、じつは家康こそがもっとも優れた執政者だったのではという再評価も行われています。その証拠に、彼の創設した江戸幕府は2世紀半もの間、盤石な土台の上に君臨していました。
そして日本史上最大級の名君家康を育てたのは、駿府の風土だったのです。
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