バチカンなのに何故スイス?世界最小国バチカン市国とスイス衛兵の歴史

バチカン市国は、イタリアのローマにある世界最小の国。その面積は約0.44平方キロメートル程で、東京ディズニーランドよりも狭い面積の国に世界中からの観光客や信者が訪れます。

サンピエトロ大聖堂やバチカン博物館には素晴らしい芸術や文化財が展示されており、じっくり見学すると一日では時間が足りないほど。

バチカン市国で見かけるローマ教皇を警護するスイス衛兵隊は、カラフルな衣装を纏ったバチカンの花形的存在。しかし、バチカン市国なのになぜスイス?と言う素朴な疑問が湧いて来ませんか?

今回は世界最小国のバチカン市国とスイス衛兵の歴史をご紹介します。世界最大規模の教会建築サンピエトロ大聖堂は、伝説上で聖ペトロ(サンピエトロ)が逆さ十字架に架けられた場所であり、その後ペトロ殉教の地と言われる場所に4世紀頃に聖堂が建てられたことが始まりです。現在の聖堂は二代目で17世紀に完成したもの。

サンピエトロ大聖堂は祈りの場であり、同時に建物自体が芸術のような美しさです。バチカン市国には、サンピエトロ大聖堂、ローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館、システィーナ礼拝堂などがあり、国全体がユネスコの世界遺産に登録されています。サンピエトロ大聖堂のファザードの上部には、11使徒の像が並び、近くで見るとかなりの大きさであることが分かります。大聖堂の前にある二体の像が聖ペテロと聖パウロです。大聖堂のドームの部分のクーポラは地上132.5メートル、直径42.5メートルで、ローマの街を一望できる素晴らしい展望スポットです。バチカン市国と教皇を警護するスイス衛兵隊は、カラフルで個性的な衣装を身に纏っています。青、黄、赤の縞柄の制服は16世紀のルネッサンス期のデザインを基にしたもの。当初の制服はミケランジェロがデザインしたとも伝えられています。

スイス衛兵がバチカンに初めて来たのは、16世紀始めに教皇のユリウス2聖が当時ヨーロッパで高い戦闘力を誇ったスイスの傭兵を雇ったことが始まりです。1527年に神聖ローマ帝国のカール5世がローマに侵攻し「ローマ略奪」事件が起こりました。これにより美術品などの略奪、教会の破壊、芸術家たちが殺害され、ローマのルネッサンス時代は一気に荒廃してしまいます。

ローマ略奪時にバチカンにも敵の軍勢が攻め入り圧倒的不利な状況の中、スイス衛兵たちは勇敢に戦いました。189人のスイス衛兵のうち147人が戦死しましたが、危機一髪の所で当時の教皇クレメンス7世はバチカンの脱出に成功します。バチカンから重厚感ある要塞のサンタンジェロ城へは秘密通路の「パセット」があり、サンタンジェロ城に逃げ延びたクレメンス7世はのちに降伏することになりましたが、命を取り留めました。

その時のスイス衛兵の勇敢さは、今も語り継がれています。その後1571年にヴェネツィア共和国が支配していたキプロス島にオスマン軍が攻め入った際にも、スイス衛兵が派遣されました。戦は勝利しヨーロッパのイスラム化を食い止めることに貢献したのです。重要な戦地へ派遣されることから、スイス衛兵への信頼が感じ取れます。

現在もスイス人の敬虔なカトリック教徒にとって、バチカンを警護する伝統的なスイス衛兵の任務は誇り高きものであるそうです。

バチカン市国を訪れた際には、現存する世界最古の軍隊であるスイス衛兵に注目して見て下さい。

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名前 サンピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro)
住所 Piazza San Pietro, 00120 Città del Vaticano
アクセス ローマサンピエトロ駅から徒歩10分
営業時間 大聖堂7時~18時半(4月~9月は19時まで)
     クーポラ8時~17時(4月~9月は18時まで)
定休日 日曜ミサやキリスト教の祝日には休館、入場制限の場合あり
公式サイト http://www.vatican.va/various/basiliche/san_pietro/index_it.htm
料金 大聖堂は入場無料、クーポラはエレベーター利用で7ユーロ、階段利用で5ユーロ
※肌を露出した服装では入場できないので、服装に注意が必要です。