デンマークが生んだ童話王・アンデルセンゆかりの地を訪ねるコペンハーゲンの旅

デンマークが生んだ世界的な童話作家といえば、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。

彼が生んだ「みにくいアヒルの子」や「人魚姫」などの名作は、日本でも知らない人はいないといってもいいほど有名。子ども時代に彼の物語に親しんだ記憶をもつ人も多いことでしょう。

オーデンセの貧しい家の子として生まれた少年時代のアンデルセンは、夢想家で友達も少なく、家にこもって人形芝居で遊んでばかりいたといいます。

成長するにつれてますます空想と芝居の世界に夢中になった彼は、演劇の道に進むことを決意し、1819年に首都コペンハーゲンへと移り住みました。

俳優の夢は諦めたものの、劇作家としての夢は諦めずに執筆を続けていたアンデルセン。その頃にたまたま書いた童話が評判となり、1835年に「即興詩人」「親指姫」といった代表作を発表すると、彼の名はデンマークのみならず、ヨーロッパ中、さらには世界へと知れ渡ることとなったのです。

生涯を通じて結婚することも定住することもせず、「旅こそは我が人生」の言葉通り、アンデルセンはヨーロッパ各地を旅しながらイマジネーションを磨き続けました。1875年にその生涯を閉じ、コペンハーゲン市内の教会の墓地に眠っています。

彼が半生を過ごしたコペンハーゲンには、アンデルセンゆかりの地が点在しています。観光のかたわら、世界中で愛され続ける物語を生んだ「童話王」の生涯に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

・人魚像

アンデルセンの「人魚姫」を思い起させる人魚像は、いまやコペンハーゲンのシンボル。この像が制作されたのは、アンデルセンの死後38年が経った1913年のことでした。

当時王立劇場で上演されていたバレエ「人魚姫」を観たカールスベア2代目社長カール・ヤコブセンが人魚像の制作を思いつき、彫刻家エドワード・ヘッセンの手により、この人魚像が生まれたのです。

実は、世界3大がっかり名所として知られる人魚像ですが、やはりこれを見なければコペンハーゲンでやり残したことがあるような気がするというもの。海沿いにひっそりとたたずむ小さな人魚像は、今日も大勢の観光客の熱い視線を浴び続けています、

・ニューハウン

運河に沿って色とりどりの木造家屋が並ぶニューハウンは、おとぎの国・デンマークを象徴するスポット。1673年に完成した北欧最古の人口港で、当初は物流の拠点として、さらには長い航海を終えた船乗りたちが羽を伸ばす居酒屋街としてにぎわっていました。

当時のような港としての機能はほぼ失われましたが、現在はおしゃれなレストランやカフェが並ぶ人気の観光スポットとして生まれ変わっています。晴れた日に、運河の風を受けながらテラス席で過ごすひとときは最高ですよ。

アンデルセンが愛した場所としても知られていて、彼は通算18年にわたってこの地区で暮らしました。かつてのアンデルセンの住居の外壁には、彼の名前と来歴が刻まれたプレートが掲げられています。

・チボリ公園

1843年にオープンしたチボリ公園は、「世界最古の遊園地」ともいわれる世界的に有名な老舗遊園地。かのウォルト・ディズニーも「ディズニーランド」の参考にしたといわれています。

チボリ公園は、当時のデンマーク国王クリスチャン8世の臣下であったゲオー・カーステンセンの「階級に関係なく誰でも楽しめる娯楽施設を」との願いから生まれました。チボリ公園がお気に入りだったアンデルセンは、ここに足繫く通い、物語の構想を練っていたといいます。

エリアによってヨーロッパ、アジア、中東などにテーマ分けされた園内は歩くだけでもわくわくする空間。レストランも40店舗ほどあり、アトラクションを利用しなくても散歩と食事だけでじゅうぶん楽しめます。

市庁舎のすぐ脇を走るH.C.アンデルセン通りには、大好きだったチボリ公園を見上げるアンデルセンの像がたたずんでいます。

・「H.C.アンデルセンズ・ワンダフル・ワールド」

市庁舎前広場の向かい、Scandic Palace Hotelにある小さなミュージアムが「H.C.アンデルセンズ・ワンダフル・ワールド」。館内では、アンデルセンの生涯や彼の童話の世界が模型を使って再現されています。

こぢんまりとしたミュージアムですが、効果音や模型が動く演出があり、思いのほか臨場感たっぷり。もちろんアンデルセン自身が訪れたことはありませんが、彼のファンタジーの世界が具現化された楽しい空間です。

100年以上の時を経ても、いまだ色あせないアンデルセンの世界。彼の世界は今もコペンハーゲンで、そして世界中の人々の心の中で生き続けているのです。

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