【世界遺産】あまりにも芸術的、フランス・ナンシーのスタニスラス広場

フランス東部・ロレーヌ地方の中心都市、ナンシー。かつてロレーヌ公国の首都として栄えたこの町は、アールヌーヴォー誕生の地として有名です。

アールヌーヴォーとは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に流行した国際的な芸術運動。

植物などの有機的なモチーフや自由な曲線を組み合わせた従来の概念にとらわれない装飾性や、鉄やガラスといった当時としては目新しい素材を積極的に取り入れたところに特徴があり、建築や工芸品などの分野で当時の人々の生活に溶け込んでいました。

その一方、アールヌーヴォーが生まれる1世紀前、ナンシーでは貴族好みのロココが花開きました。ナンシーはロココとアールヌーヴォーという対照的なふたつの芸術様式が発達した町なのです。

そんなナンシーの代名詞的存在が、ナンシーのロココ建築の傑作で、世界遺産にも登録されているスタニスラス広場。

18世紀半ばまで、ナンシーの町は大通りを境に、中世の町並みが残る旧市街と、16世紀から17世紀にかけて造られた新市街とに分かれていました。それらを統一すべく策定された都市計画の一環として建設されたのが、このスタニスラス広場です。

スタニスラスは旧市街と新市街を結びつける役割を果たし、美しい町へと生まれ変わったナンシーの都市計画は、のちにパリの都市計画のお手本にもなったといいます。

「スタニスラス」とは、ロレーヌ公スタニスラス・レスチンスキーのこと。彼はもともとポーランドの国王でしたが、18世紀半ばにロシア軍に追われてフランスに亡命、ロレーヌ地方を譲り受けて統治しました。

ナンシーを理想郷に造り変えることを思い描いたスタニスラス公の命を受け、ナンシー生まれの建築家エマニュエル・エレの設計のもとでスタニスラス広場が造られたのです。

当初この広場にはルイ15世の像があり、「国王広場」と呼ばれていましたが、フランス革命でルイ15世像が破壊され、19世紀になってスタニスラス公の銅像が設置されたため、「スタニスラス広場」と呼ばれるようになりました。

スタニスラス広場は、フランス最古の国王広場。106メートル×124メートルの広大な広場に足を踏み入れると、その優雅な雰囲気にうっとりとさせられます。

中央にはスタニスラス公の像が立ち、広場の周囲はバロック様式の市庁舎や裁判所、ナンシー美術館などの壮麗な建物が囲んでいます。

この広場を特徴づけているのは、なんといっても6ヵ所に設けられたロココ様式の金属細工で彩られた鉄柵です。

これらの装飾は金具工芸職人ジャン・ラムールが手掛けたもので、重厚感と華やかさをあわせもった豪華絢爛な鉄柵は目を見張るほどの美しさ。

なかでもシンボル的存在のネプチューンの噴水と金装飾の門は、力強さと優雅さが調和した見事な芸術作品です。

世界遺産にも登録されている美しい広場でありながら、スタニスラス広場は地元の人々の憩いの場でもあり、今も生きている世界遺産。

夏の夜には、広場を舞台に音と光のショーも開催されます。ロレーヌの華やかな時代を今に伝える壮麗な広場に、ひと目会いにいってみてはいかがでしょうか。

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