ドイツ西部の世界遺産の町トリーアのシンボル「ポルタ・二グラ」を訪ねて

ドイツ西部、フランスから流れるモーゼル川沿いにある世界遺産の町トリーア。

トリーアの世界遺産は「トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂」として1986年に登録され、これら歴史ある建造物を町のいたるところで目にする事ができます。

なかでもローマ遺跡群は、トリーアがかつてローマ帝国の重要都市として機能していたことを示す重要な手がかり。ローマ人は2世紀ごろから石橋やバジリカ、公衆浴場をこの地に造り、商業や文化におけるめざましい発展を遂げたこの町は「第2のローマ」とまで呼ばれました。

数あるローマ遺跡群のなかでも、町のシンボル的存在ともいえるのが「ポルタ・二グラ」。2世紀中ごろに建造された堂々たるいでたちの門は、町の北門としての役割を果たしていました。

この場所に門だけ建っている姿を不思議に思う方もいるかもしれません。現在は取り払われてしまいましたが、ローマ時代には高さ6メートル、全長6.4キロもの壁が町を取り囲んでいたのです。

かつてローマ兵が見張りをしていた巡路からは、トリーアの街並みが望めます。

ローマ帝国の滅亡後、中世に入るとポルタ・二グラの姿は門から教会へと変貌を遂げます。11世紀初めにはこの門に7年間住んでいたギリシャ人修道僧のシメオンを祀るべく、門を増築するかたちで教会が造られました。

門の上には教会の塔が建てられ、内部にも身廊などが造られます。

教会時代の面影は、門の中からはっきりと伺い知ることができます。壁の至る所に施された司教像の彫刻や身廊の跡など、門の姿をした外観からは想像ができないほど宗教色に満ちているのです。

皆さんも教会を訪れた際に、このような窓の形をした部分を天井付近に見た事があるかもしれません。それにしても門を教会に改築してしまうとは、当時の人々の発想には驚くばかりです。

そんなシメオン教会に転機が訪れるのは19世紀はじめのこと。この地を占領したフランス革命軍の指導者ナポレオンの命により、教会部分が取り払われてしまったのです。これにより教会はもとの門の姿に戻され、この後陣部分のみがそのまま残されたのでした。

一見ローマ時代の門にしか見えない建物に、こんな過去があったなんて驚きですね。

現在は町のシンボルとして多くの観光客が訪れるポルタ・二グラ。2000年以上も同じ場所に建ち続ける門は、彼が辿った運命を訪れる者に語りかけてくれるはずです。

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協力:ドイツ観光局