【愛媛】四国初の重要伝統的建造物群保存地区、内子の街並みが素晴らしすぎた
|あなたは愛媛県内子町をご存じですか?内子は、四国で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定された、八日市・護国の町並みを擁する歴史ある町です。
筆者が内子の存在を知ったのは、ドイツのロマンティック街道の町・ローテンブルクに行ったときのこと。ローテンブルク観光局のスタッフに、「ローテンブルクは日本の内子町と姉妹都市なんだ」と教えてもらい、「そんな町があるんだ~」と思ったのです。
同時に、こうも感じていました。「なぜ世界的な観光地であるローテンブルクがそんなマイナーな町と姉妹都市提携を結んでいるんだろう」と(内子町の関係者の皆さん、ごめんなさい…)。
でも実際に内子を訪れてみて、その疑問が払拭されました。内子は知名度こそ高くないかもしれませんが、町並みの保存状態は超一流!「なぜこんなに素晴らしい町並みが知られていないのだろう」と疑問に思ったほどだったのです。
JR松山駅から特急宇和海で約30分と、好アクセスの内子。それでいて、駅から数分歩いただけで、早くも出格子やなまこ壁が特徴的な歴史的建造物の数々に出くわします。
四国遍路道や金比羅街道の交通の要衝であった内子は、宿場町として栄えるとともに、江戸時代後期から明治時代にかけては、木蝋(もくろう)の生産によって富を築きました。
とりわけ八日市・護国地区の町並みには、600メートルの通りに沿って、伝統的な豪商の屋敷や町屋が当時のまま残っています。
国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されたこの地区に足を踏み入れた瞬間、「タイムスリップ」という言葉が脳裏をよぎります。
内子の町並みは、しっとりと落ち着いていると同時にエレガント。浅黄色の漆喰で塗り込められた大壁や「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる屋根の妻部分に施された装飾、「鏝絵(こてえ)」と呼ばれる漆喰を塗る鏝の技術で描かれるレリーフ状の意匠など、内子特有の建築様式や装飾が街並みを彩り、歩いていてまったく飽きることがありません。
内子の一番の魅力は、江戸~明治の情緒香る町並みがそのまま残されていながら、まったく「テーマパーク化」していないこと。
重要伝統的建造物群保存地区のなかには、あまりにも有名になりすぎたために、観光客が多すぎたり、その土地とは関係のない雑貨を扱うショップが増えたりして、本来の情緒が損なわれている場所があるのも事実です。
ところが、内子町にはそんなところが一切ありません。
もちろん古民家を改装したカフェやレストランもありますし、地域の名産品などを扱うショップもあります。しかし、どのお店も内子本来の雰囲気を壊すことなく、美しく町に溶け込んでいるのです。
これほどの町並みを残しながら、過度に観光地化されたりテーマパーク化されたりすることなく、数百年間も時が止まったままのような雰囲気を守り続けている内子町。
その素朴ながらも高貴なたたずまいに胸を打たれ、カメラのシャッターが止まらなくなりました。
なかでも目を引くのが、重要文化財にも登録されている本芳我家住宅と上芳我邸の並び。芳我家は、内子の木蝋生産の基礎を築いた家で、本家が「本芳我家」、分家は「上芳我家」と通称されています。
懸魚、鏝絵、なまこ壁、出格子など、贅を尽くした意匠で装飾された2軒の家は、まさに内子の町並みの象徴。かつての繁栄ぶりが手に取るように感じられ、繊細で優美な装飾はいつまでも眺めていたくなるほどです。
上芳我邸は木蝋資料館として公開されており、当時の生活の様子を再現した展示や、貴重な木蝋生産の工程の紹介は必見です。
狭い範囲に数々の歴史的建造物がひしめき合っている内子ですが、町民の誇りナンバーワンといえば「内子座」。1916年に大正天皇の即位を祝って、地域の有志によって建てられた純和風様式の本格的な芝居小屋です。
近年、老朽化により取り壊しの危機に瀕しましたが、地元の人々の強い想いにより、改修が決定。1985年に復元工事が完了し、現在も現役の芸術や文化の発信地であり続けています。
内部見学のみの利用も可能。実際に花道を歩いたり、舞台に立ったり、客席に座ったり、奈落に入ったりして、この芝居小屋が経てきた歴史を体感してください。
今となっては小さな地方都市でありながら、驚くほどに壮麗な町並みが残る内子町。あなたもここで、知らなかった日本の伝統美にふれてみてはいかがでしょうか。
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