閉港まであとわずか!?冷戦の歴史を今に伝えるベルリン・テーゲル国際空港


ドイツの首都ベルリン。

ベルリンの壁に代表されるように第二次世界大戦後は冷戦の舞台として、1991年に再統一されたドイツの首都となるまで、様々な苦難の歴史を歩んできました。

そんなベルリンには3つの国際空港(テーゲル空港、テンペルホーフ空港、シェーネフェルト空港)があり、現在でもそのうち2つが運用されています。

2008年に既に閉鎖されてしまったテンペルホーフ空港は、市民の憩いの場として巨大な公園となっており、今ではフェスなども開かれています

今後は、残り2つの空港のうち最も発着回数の多いベルリン北部に位置するテーゲル空港が閉鎖され、残る1つである南部のシェーネフェルト国際空港が大幅に拡張され、ベルリン・ブランデンブルク国際空港という名前に変更されることが予定されています。

今回は、そんな閉港まであとわずかのベルリン・テーゲル国際空港の歴史についてのお話です。

プロイセン王・フリードリヒ1世が1699年に妃ゾフィー・シャルロッテのために建設したシャルロッテンブルグ城でも有名な、シャルロッテンブルクの森に拓かれたテーゲル空港は、第一次大戦前から空軍関係の訓練施設として使用されてきました。

第二次大戦後ドイツの敗北により、テーゲル空港は大きなターニングポイントを迎えます。その契機は第二次大戦後に発生したソビエトによるベルリン封鎖でした。ベルリン封鎖とはソビエト連邦政府が西ベルリンに向かう全ての鉄道と道路を封鎖した事件であり、冷戦初期を象徴する事件です。

ベルリン封鎖によって陸の孤島となってしまった西ベルリンに対して、連合国軍は飛行機をつかった物資輸送を実行を計画します。そのためには空港施設の整備が急ピッチで必要となりました。

その結果整備されたのが2008年に封鎖されたテンペルホーフ空港と現在も運用中のテーゲル空港です。つまり、ベルリンにある3つの国際空港のうち2つは西ドイツ由来の空港で、1つは東ドイツ由来の空港(シェーネフェルト空港)であり、今後は東ドイツ由来の空港に統一される、ということになります。

急ピッチでの空港建設がどれほどのものであったか、というのは、テーゲル空港がソビエトによるベルリン封鎖後のわずか49日で滑走路が建設さたことからも分かります。そのスピードから当時の西側諸国の威信をかけて建設された空港であったとも言えるでしょう。

テーゲル・テンペルホーフの2つの空港は西ベルリンへの物資補給を空輸のみで支えるために運用されました。作戦は「ベルリン大空輸」と名付けられ、スタート当初の航空交通管制は、輸送機の量に追いつくことができず、ブラックフライデーと呼ばれる輸送機同士の事故まで引き起こしてしまいます。

ブラックフライデー後、西側諸国による航空交通管制業務の研究が行われ、24時間態勢・3分間隔で離着陸を運用できる最新鋭の設備が整備され、ベルリンの空輸量は1日4500トンを超え、西ベルリン市民を支える巨大な空のインフラへと成長します。

その輸送数は約2年間に27万回にわたる物資空輸であったことからも、膨大な数の物資が陸を経由することなく空からだけで支援することの困難さを物語っています。1998年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し冷戦が終了すると、テーゲル空港は物資だけではなく、ベルリンの空の玄関口として活躍を続けています。

2008年に封鎖したテンペルホーフ空港から遅れる事8年、いよいよ東西冷戦の象徴的な空港の運用に幕が下ろされる日が近づいています(2011年閉鎖予定でしたが、現在もまだ閉鎖されていません)。

もし機会があれば閉鎖される前に、ベルリンテーゲル空港を訪れてみてはいかがでしょうか?そこにはベルリンの3つの空港が持つ歴史、そしてその様々な歴史を振り返ることで見えてくる戦争の世紀を感じる事が出来るに違いありません。








<テーゲル空港からベルリン市内へのアクセス>
バス:X9および109に乗車しヤコブ・カイザー・プラッツ駅(Jakob-Kaiser-Platz)でUバーン7に接続
バス:TXLに乗車しボイセルシュトラッセ駅(Beusselstr.)でSバーン42,43に接続
バス:128に乗車しクルト・シューマッハー・プラッツ駅(Kurt-Schumacher-Platz)でU6に接続

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この記事のお店・スポットの情報

お店・スポット名 : ベルリン・テーゲル国際空港

住所 : Flughafen Tegel, 13405 Berlin, ドイツ