【世界の街角】世界一の美食の街がリヨンと言われる秘密とは?


フランス第二の都市・リヨン。

地理的に、ボージョレ、ローヌ、ブルゴーニュのワインそしてブレスの鶏肉、さらにはシャロレー牛といった食材の産地に恵まれている事から、「美食の街」としても世界的に有名です。

・美食の街・リヨンの歴史
リヨンという街を「美食の街」として高めたのは、食材の産地だけではありません。

そこにはリヨンという街がもつ環境と歴史が大きく関係しています。

ローヌ川とソーヌ川の2つが交わる街・リヨンは、14世紀から絹織物の交易で繁栄し、産業革命を迎える19世紀前半には、ヨーロッパ最大の絹織物・繊維工業都市として世界に名だたる都市に成長します。

リヨンの名は遠く離れた日本にまで届くほどで、1872年に建設された富岡製糸場はリヨン近郊出身のフランス人技術者ポール・ブリュナーによって技術的な指導を受けたほどです。

そんなヨーロッパ最大の絹織物・繊維工業都市リヨンは多くの労働者で賑わっており、その労働者のために美味しくてボリュームのある、今で言うB級グルメや家庭料理が発達していきます。

繁栄を極めていたリヨンの街が育む食の土台に大きな転機が生まれたのが、戦死者が900万人以上にまで膨れ上がった泥沼の戦争「第一次世界大戦」でした。

第一次世界大戦によってリヨンでも多くの男性労働力が失われ、リヨンの街が育んできた食の土台は大きく揺らぐ事になります。

そんな危機的な状況を救ったのが、今では「メール・リヨネーズ(リヨンの母)」と呼ばれているリヨンの女性たちでした。

女性達は試行錯誤する事により、リヨンの街が育んできた食をさらに磨き上げ、シンプルで質の高い料理をどんどんと作り出していきます。

・ミシュラン三つ星を獲得した初めての女性「メール・ブラジェ」とは?
第一次世界大戦の終結後から8年後の1926年(昭和元年)、この年、現在にまでその影響力を持つ1つの雑誌が生まれます。

それがタイヤ製造会社のミシュランが始めたレストランガイド。

実はミシュランガイドはパリ万博が行われた1900年、自動車運転者向けのガイドブックとしてフランスで発行されたのが始まり。

スタート時はガソリンスタンドやホテルの場所を指し示す地図のようなガイドブックでしたが、このミシュランガイドが車産業の発達をさらに促進するため、レストランの格付けを開始したのが1926年(昭和元年)でした。

そしてそのレストランガイドがスタートして7年後の1933年、「メール・リヨネーズ(リヨンの母)」の1人、メール・ブラジェが女性として初めてミシュラン三つ星を獲得することになります。

このメール・ブラジェこそ、今では世界の巨匠と呼ばれるポール・ボキューズの師匠でした。

・世界の巨匠「ポール・ボキューズ」とは?
リヨンのレストランで16歳から見習いを始めたポール・ボキューズは、第二次世界大戦へ志願して従軍します。

第二次世界大戦後、リヨンやパリでキャリアを積み、1959年いよいよ自身の生家である、フランス・リヨン近郊のコロンジュ・オ・モン・ドールにあるレストラン「ポール・ボキューズ」で腕を振るいはじめます。

その後は、1961年に、日本で言うところの人間国宝のような称号である、フランスで最も名誉のある国家最優秀職人章を授与され、さらには1965年にミシュランの三つ星を与えられ、その後50年もの間、三つ星を維持するというとてつもない偉業を達成しています。

ポール・ボキューズは、現在2年に1度フランス・リヨンで行われている、料理界のオリンピック「ボキューズ・ドール」を1987年からスタートさせ、現在でもリヨンを「美食の街」として世界に発信し続けています。

さらに、いまではリヨンの中央市場(Les Halles de Lyon)は「ポール・ボキューズ市場」とも呼ばれており、観光客からプロの料理人やリヨンに住む人々まで、多くの人々に愛されています。



14世紀から脈々と続く歴史そのものが多くの人々の力によって「美食の街」として花開いたリヨン。

もし機会があればこの街を訪れ、この街の歴史そのものが作ってきた味わいを堪能してみてはいかがでしょうか?

きっとその味わいはこの世に生まれてきた良かった、と思わせるほど、幸せな味わいに違いありません。

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