大航海時代に海の男たちが目指した栄光の港町・歴史都市マラッカ
|かつて、「大航海時代」と呼ばれる時期がありました。
ヨーロッパの最西端に位置するポルトガルが、南へ船を派遣したら地図になかった世界が次々に出てきたという時代です。
アフリカ大陸に南端があるということが分かると、ポルトガルを筆頭としたヨーロッパ各国は極東アジアを海路で目指すようになります。
大航海時代が始まった15世紀後半、アジアの東側には中国があり、そのまた東にジパングという国があるらしいということは知られていました。
そのジパングとヨーロッパが、ひとつの水路でつながっている。
これは西洋世界を揺るがす大発見でした。だからこそポルトガルは海洋進出に熱を入れていたのですが、ジパングすなわち日本へ行くためにはいくつかの「門」があります。
ヴェルデ岬、喜望峰、インド、そしてマラッカ。日本へ行くためには、これらの拠点は必ず通過しなくてはなりません。
今回はそのうちのひとつ、マラッカをご紹介します。
・一攫千金を夢見て
現在はマレーシアの歴史都市として世界遺産にも登録されているマラッカ。
波穏やかなマラッカ海峡を臨むこの港町は、かつて海の男たちの夢を集めた「栄光の拠点」でもありました。
海峡を出て北上すれば、そこは中国。
そして最終的に日本へと錨を下ろします。
ヨーロッパからの航海は壮大な冒険で、道半ばにして多くの船乗りが命を落とします。それでも彼らが旅をやめなかったのは、そこに一攫千金のロマンがあったからに他なりません。
マラッカはポルトガル、オランダ、イギリスと宗主国を変える間に、東アジア地域へ西洋文化を流入させる役割を担いました。
それは特に、16世紀日本に大きな作用をもたらします。この時、日本は戦国時代の真っ只中。旧来の秩序が失われ、人々は混乱しながらも「新しい秩序」を求めていました。
ですが、その秩序の確立には最新の軍制と兵器、そしてそれを支える経済力が必要です。
そうしたことを初めて実行したのが織田信長であり、その後継者の豊臣秀吉、徳川家康によって戦国の世は終焉を迎えました。
・日本人初のキリスト教徒
鹿児島出身のヤジロウという日本人がいました。
彼は日本史上初めてキリスト教徒になった日本人で、「故郷で殺人を犯して尋ね人になった」ということになっています。
このあたり、戦国時代の人物らしくないような気がしますが、ともかくポルトガル船でマラッカに渡航したのは事実。そして当地でヤジロウが出会ったのが、あのフランシスコ・ザビエルです。
その後、ヤジロウはインドでの修道士生活を経て日本へ帰国します。もちろん、ザビエルも一緒です。
海上貿易のイロハを知っているキリスト教が当時の日本に与えたインパクトは絶大で、「山賊」に過ぎない日本仏教の諸宗派を経済力で圧倒してしまいます。
マラッカは、宣教師の派遣拠点でもありました。ここからもたらされた人やモノが、混沌の極みに陥っていた日本を変革させたのです。
・マラッカはすぐそこに
現代のマラッカには、かつてのような「交易都市」としての側面はもうありません。
19世紀にシンガポールが開発されると、もともと規模の小さな港街だったマラッカは一地方都市に転落しました。
ですが、数百年の間に培われた東西折衷の文化は人々を魅了し続け、2008年にはユネスコ世界文化遺産に指定されました。
一攫千金を夢見る海の男たちが、遥か西から続々とマラッカに押し寄せたあの頃。
夢が実現した喜び、そして夢破れた悲しみが匂いになって、今も街の隅々に染み付いています。
「栄光の拠点」は、我々のすぐ目の前にあるのです。
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