ジャワ文化の源・ジョグジャカルタへ歴史探検に出かけよう!


日本で「古都」と呼ばれる都市といえば、京都。

その京都府と友好提携を結んでいるのが、インドネシアのジョグジャカルタ特別州。

ジャワ民族にとってジョグジャカルタは「心の源泉」ともいうべき場所。ここを見ずにインドネシアの歴史は語れません。

悠久のジャワ文化は、どこか日本のそれと似通った空気すら漂わせます。

・ジャワの至宝
インドネシアの首都ジャカルタから列車で約8時間。そこはバリ島に次ぐ同国第二の観光地、ジョグジャカルタです。

この地域は、かつてマタラムと呼ばれていました。肥沃な平地に恵まれているため、東南アジアの穀倉地帯として機能してきました。そしてそのような土地は、強大な王国が成立しやすいという特徴も持っています。

8世紀から10世紀にかけて、ジャワ島中部には古マタラム王国が君臨していました。強大なヒンズー王朝で、ジャワ文化の基礎を作った功績もあります。現代のジョグジャカルタ市民のほとんどはイスラム教徒かキリスト教徒ですが、にもかかわらずヒンズー神話のミュージカルや人形劇が行われているのは古マタラム朝時代からの伝統です。


ジョグジャカルタ市内にある世界遺産プランバナン寺院群も、古マタラム朝の手によるもの。ヒンズー遺跡特有の「女性的な美」がひしひしと伝わる建造物です。

このプランバナン、10年前に大変な危機を迎えました。それはジャワ島中部地震です。この災害でジョグジャカルタは大きな被害を出し、プランバナンも一部が倒壊してしまいました。

ですが、国際社会はジャワの至宝を見捨てることはありません。我が国日本を始めとした経済先進各国が支援を表明し、プランバナンは命脈を保つことになります。

・共和国の中の王国
ジョグジャカルタ特別州は、現在も「王国」であり続けています。

現在の州知事はハメンクブウォノ10世。スルタン王家の現当主です。ジョグジャカルタは、共和制国家の一地方州でありながら今も王族政治が認められています。

この地に代々王朝があったということは先述しましたが、インドネシア独立戦争の際にスルタン王家は独立派への支援を行いました。その功績が評価され、王家の実権存続が許されたのです。


そんなスルタン王家ですが、現在大きな転換点を目の前にしています。現国王であるハメンクブウォノ10世には5人の子がいますが、そのすべてが女性です。今のジョグジャカルタを「ハメンクブウォノ王朝」と呼ぶならば、この王朝は創設以来男子が王位に就いてきました。

ですが現状、男子の後継者はいません。そこで現国王は長女のプンバユン王女に王位を継承させようと動いていますが、親戚筋の一族がそれに反対しています。

このあたり、日本の皇室と似たような流れですが、ともかくスルタン王家が「変化の時」を迎えているのは間違いないようです。

・宗教対話の町
インドネシアという国は、イスラム教徒が大半を占めます。

ですがそれはあくまでも人口比率の話であって、都市部に行けばキリスト教徒もたくさんいます。ジョグジャカルタでも、イスラム教徒とキリスト教徒が同じ地区で暮らしているという光景を見ることができます。

宗教紛争が世界中の人々を苦しめている昨今、ジョグジャカルタではそうしたことはまず起こりません。

もともとジャワ島では、近世ヨーロッパのような宗教動乱はほとんど発生しませんでした。たとえば1572年にフランスで発生した「サン・バルテルミの虐殺」のような悲惨な紛争は、ジョグジャカルタ市民が最も忌み嫌うこと。ISのような暴力集団に対しても、強い口調で「No」を突きつけます。

そのため治安も非常に良く、外国人にとっても旅行しやすい環境を維持しています。

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