【新東方見聞録】西太后の「悪事の結晶」頤和園(中国・北京)


政治家が国庫からの資金を私的な理由で流用することは、決してあってはなりません。

ですが、人類史の中ではそうしたことが幾度も行われています。そして結果として、執政者による資金流用が素晴らしい建築物を造ったという事実もあります。

今回ご紹介する頤和園も、そのような政治的背景を持った世界遺産です。

・近代化を目指したアジア諸国

19世紀後半、日本はすでに近代化を遂げていました。

それはすなわち、欧米の重工業テクノロジーを自国に移植するということです。強力な軍隊を作るために。そうしないと、祖国は他国の植民地にされてしまいます。

日本は近代化に成功しましたが、一筋縄では行きませんでした。明治維新を牽引したのは薩摩と長州ではありますが、この2藩は当初「西洋の技術など日本に入れるべきではない」という姿勢だったのです。それは朱子学という、中国発祥のイデオロギーが作用していたから。

「尊皇攘夷」という言葉は、そもそも朱子学者が盛んに唱えていたものです。朱子学の開祖である朱熹は、「何が何でも外国勢力を討伐せよ」という過激思想の持ち主でした。しかもそのために、外国の優れたテクノロジーを取り入れるということは一切してはいけないとも言っています。

幕末の日本もそんな朱子学に染まってはいましたが、薩英戦争や馬関戦争を経て「このままでは西洋諸国に勝てない」と実感し、欧米列強の植民地にならないためにむしろ欧米の技術を取り入れるという道を採用しました。

そして清朝中国でも、自分たちの国が欧米の植民地になるのは時間の問題だという考えが出てきます。一刻も早く近代化を成し遂げなければ、清朝そのものがなくなってしまう。その旗振り役として立ったのが、清朝11代皇帝の光緒帝でした。

・西太后の「功績」

じつはこの時代、中国でも朝鮮でも近代化を求める運動が活発化していました。

ですが結果を言えば、この両国の近代化は失敗に終わりました。なぜかと言えば、それを嫌がる集団が存在したからです。

清朝の場合、光緒帝の前に立ちはだかったのは伯母である西太后。彼女は演劇好きで甘党、職人に対して金に糸目を付けない性格でした。つまり中国文化のパトロンだったわけで、そのあたりの功績は多大なものがあります。

西太后が北京に造らせた頤和園は、もともとは明朝時代からあった皇族専用保養地でした。それを西太后が、巨大な庭園として再整備したのです。

エリザベス女王がシェイクスピアを支援したように、西太后は京劇を支援しました。そのような執政者は、ほぼ間違いなく建築物にもこだわりを見せます。

美術史の観点から見れば、西太后は最大限の高評価を与えるべき人物と言えるでしょう。

・近代化よりも保養地を優先

では、その頤和園を整備するための莫大な予算はどこから捻出したのでしょうか?

何と、海軍予算です。西太后は水上戦力の近代化に使用されるべき資金を、個人の保養のために消費してしまったのでした。

執政者として、これほど愚劣な行為はありません。要は西太后も朱子学の信者で、調度品やお菓子の材料くらいならともかく「兵器を外国製にするわけにはいかない」と信じて疑わなかった結果、海軍資金の横流しに至りました。

逆に言えば、もし清朝が近代化に成功していたら今の頤和園はなかったということになります。

人類にとって、どちらのルートがより正しかったのでしょうか。その答えは、夕日を背にそびえ立つ仏香閣が教えてくれるかもしれません。

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