エストニアの最高学府にして人気観光スポット!波乱万丈の歴史をもつタルトゥ大学

バルト三国の一角をなすエストニアといえば、古い町並みがまるごと世界遺産に登録されている首都のタリンが有名。

その一方で、「エストニアで最もエストニアらしい町」「エストニアの精神的首都」と称されるのが、南部にある学問都市・タルトゥです。

タルトゥの代名詞的存在ともいえるのが、エストニアで最も優秀な学生が集まるという名門・タルトゥ大学。

1632年に当時この地を支配していたスウェーデン王・グスタフ2世によって設立された「アカデミア・グスタヴィアナ」を前身とする、エストニアで最も有名な大学です。

大学創設当初の学生はスウェーデン人やドイツ人が中心で、エストニア人のための大学といえるものではありませんでした。

「アカデミア・グスタヴィアナ」は、17世紀なかばにスウェーデン・ロシア間の戦争のために大学としての活動を休止。17世紀末に「アカデミア・グスタヴィアナ・カロリナ」として再興されたものの、大北方戦争下でまたも廃止に追い込まれました。

大北方戦争で「リヴォニア」と呼ばれる現在のタルトゥを含む地域はロシアに編入されてしまいます。ロシア皇帝アレクサンドル1世の時代に再度大学の設置が決定され、1802年、「デルプト帝国大学」が開校。

当初は講師、学生ともにドイツ人が多かったものの、19世紀なかばからしだいにドイツ色が薄れ、エストニア人やラトビア人を含む多様な民族の学生が通う大学になっていきます。

第一次世界大戦下でタルトゥがドイツ軍に占領されると、当時多くを占めていたロシア人の教授陣はロシアに逃れ、そこで新たな大学を設立します。

こうして、活動休止期間も伴いながらその名や形を変えてきいた大学は、1919年についにエストニア語の名前を冠した「タルトゥ大学」として開校を宣言するのです。

伝統的な学部に加えて経済学部や農学部、獣医学部が設けられ、1632年のアカデミア・グスタヴィアナ設立以来、初めてエストニア語が教授言語として定められたタルトゥ大学は、名実ともにエストニアの大学となりました。

その後のソ連支配下では厳しい統制下に置かれましたが、タルトゥ大学のリベラルな気風が完全に失われることはなく、波乱万丈の歴史を乗り越えて現在にいたっています。

今日のタルトゥ大学は、エストニアの頭脳を支える名門であると同時に、この町を訪れる旅行者に人気の観光スポットにもなっています。

町の中心部にあるタルトゥ大学の本館は、1806年に建設されたギリシア式の円柱が並ぶクラシック様式の壮麗な建物。

ここにあるタルトゥ大学美術館、および懲罰室、式典会場は一般に開放されており、見学することが可能です。

まずは本館の1階南棟内にあるタルトゥ大学美術館へ。1803年に設立されたエストニア最古の博物館で、ギリシア・ローマ時代の彫刻、陶器のレプリカなどが並び、クラシカルな雰囲気が漂っています。

懲罰室と式典会場の見学を希望する場合、美術館の見学が終わったら大学スタッフによるガイドツアーが待っています。

大学が風紀を乱す学生に罰を与えるために使われた懲罰室は1809年に設置されたもの。公式な記録によると、最後に学生が懲罰室に入れられたのは1892年ということになっていますが、実際には20世紀前半になっても気まぐれに使われることがあったのだそうです。

「大学の懲罰室」と聞いて、ドイツに行ったことがある人はハイデルベルク大学の学生牢を思い浮かべるかもしれません。実は、この懲罰室の概念はドイツから伝わったものなのです。

ハイデルベルク大学で、学生牢に入ることが一種の名誉であったように、タルトゥ大学でも「一度は懲罰室に入りたい」と願う学生は少なくなかったとか。いったいどんなことをした学生がここに入れられていたのか、気になりますね。

罪状と拘留日数の例をいくつか挙げると、図書館の本を返却しない(2日)、窓ガラスを割る(3日)、女性を侮辱する(4日)、ケンカをする(5~3週間)など。一般的には「犯罪」と呼ぶほどでもない軽微な罪が多く、当時の大学が独自のルールで学生たちを取り締まっていたことがわかります。

オリジナルのものはほとんど残っていないものの、懲罰室の壁には当時ここに入れられた学生たちが書いた落書きが見られ、ドイツ語の落書きの数々は、当時ここがドイツ色の強い大学であったことを物語っています。

「アウラ」と呼ばれる式典会場は、クラシック様式の豪華なホールで、大学の行事のほかコンサートなども開催されます。リストやサラサーテといった著名な音楽家もここで演奏会を開いたのだとか。

筆者が訪れたときは、まさに卒業式の真っ最中で、晴れやかな表情の学生や家族の姿が見られました。スペースの都合上、全校いっせいに卒業式を行うことはできないので、学部単位で何日にも分けて卒業式が開催されるそうです。

エストニアきっての名門大学を卒業した彼らは、今後エストニア社会の中核を担う人材として活躍することになるのでしょう。

大国のはざまで揺れ動いてきたタルトゥ大学は、まさにエストニアの歴史の象徴。エストニアを旅したらタルトゥを、そしてタルトゥ大学を訪れて、その辛くも誇らしい歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

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