【日本人が知らないニッポン】世界が久能山東照宮に目を向けた理由

「東照宮」といえば、日光を連想する人が大半でしょう。

ですが、もうひとつの東照宮が存在することはご存知でしょうか。それが静岡県静岡市にある久能山東照宮です。ここは、とあることがきっかけで世界的に重要な施設にもなっています。

それについて語る前に、まずは家康と駿河府中について説明しましょう。

・若き日の家康

駿府、すなわち現在の静岡市中心部は戦国武将としての家康が育った都市としても知られています。

現在NHKで放映されている大河ドラマ『おんな城主直虎』でも、幼少期の家康が登場します。東海道の太守である今川義元は、三河の小規模豪族松平氏を配下に組み込みます。その際に今川へ人質に出されたのが竹千代、のちの徳川家康です。

人質といっても、奴隷のように扱われていたわけではありません。それどころか義元は、竹千代の能力に期待をかけていた節もあります。だからこそ今川の軍師である太原雪斎の下で武将としての英才教育を施し、元服の際には義元が烏帽子親になり、さらには結婚の世話までしました。ゆくゆくは太原雪斎の後継者、すなわち今川の軍師として活躍させるつもりだったのでしょう。

家康自身も、今川時代のことを決して「黒歴史」とはしなかったようです。駿府がなければ、家康も存在しませんでした。それを自覚していたからこそ、家康は駿府を終焉の地として選んだのかもしれません。

・奇跡の時計

家康は大御所として駿府に居を構えていた晩年期、スペイン国王から調度品を贈呈されます。

それはゼンマイ式の置き時計。1581年にスペイン・マドリードで製造されたもので、当時のヨーロッパの機械技術をすべて注ぎ込んだ傑作です。その時計が、ほぼオリジナルの状態で今も久能山東照宮に所蔵されています。

16世紀の時計が革のケース付きで残っているのですから、まさに奇跡と言うべき現象です。5年前には大英博物館が久能山に調査員を派遣しています。中身の部品まで製造当時のものという例は、この時計の他にありません。

ただ、これと似たような事象は日本ではたびたびあります。毎年公開される正倉院宝物の中にも、現在のイランに該当する地域で作られたガラス細工があります。ですがそれは、今やイランにすらないような貴重な品です。原産国ですっかり失われたものが、何故か日本にあります。

それは結局、外国からやって来た調度品をいつまでも大事に保管する感性が根付いていたからでしょう。

・貨幣経済と東照宮

日本の戦国時代は、じつは文化が大発展した区分でもあります。

西洋と接続することによって最新の貨幣経済が取り入れられ、その結果として国力基盤が大幅に底上げされました。それ以前の室町幕府は、日本史上においても極めて脆弱な政権です。それは中央政府よりも周囲の守護大名のほうが強く、足利将軍家は自力でそれを覆すことができなかったから。

ですが本格的な貨幣経済を導入することで、盤石と思われていた守護大名を叩き潰す新興勢力が誕生しました。我々現代人が連想する日本の城の形は、織田信長が宮大工を集めて安土城を造らせたことに由来します。つまり寺社仏閣や皇居の建築技術を、信長が大金を積んで買い占めたということです。

信長の弟分である家康も、その路線を継承しました。だからこそ、現代人は久能山東照宮という歴史的建造物を見学することができるのです。

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