【日本人が知らないニッポン】週末は「東海道歴史散歩」に出かけよう
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首都圏在住で毎日忙しく働き、なおかつ日曜日の大河ドラマを楽しみにしている。もちろん、戦国武将が大好き。そういうライフスタイルの人は少なくないはずです。
日本では近年、海外旅行よりも国内旅行が見直されるようになりました。少し前までは、海外旅行がより付加価値の高いレジャーとされてきましたが、ソーシャルメディアの発達により日本を含めた各国の観光案内が平板化されます。すべてが同じ土俵に立つようになったのです。
すると、決して遠くはない身近な地域こそが意外な魅力に溢れていると認識されるようになります。そもそも日本は山岳国で、険しい山を隔てた文化圏がいくつも存在します。
首都圏から新幹線に乗ると、その先には「異国の景色」が広がっています。
・東海道の歴史的役割
東海道は、日本の東西をつないできました。
日本の本州は、中央に山脈が走っています。それも3,000m級の山々です。交通機関が発達した現代ならまだしも、昔は本州の日本海側から太平洋側へ直接アクセスすることはほぼ不可能でした。もちろん、その逆も同じです。
だから関東と関西を結ぶ交通網は、たった数パターンに限られます。その中の主要街道は、やはり東海道です。
数千数万の軍隊を関東または関西へ移動させる場合、東海道は必要不可欠。とくに季節が冬の場合は尚更です。なぜかといえば、あまり雪が積もらないから。今の静岡県に該当する地域は、雪などほとんど降りません。
日本海側の太守上杉謙信の軍勢は、冬季には豪雪を掻き分けながら進軍しました。部隊が一歩も動けなくなることもしばしばです。ですが、東海道ではそのようなことは起こりません。
だからこそ、戦国時代の東海道では常に戦いが発生していました。
・日本最大の「タンパク源」
駿府城、掛川城、浜松城は静岡県内にある東海道沿いの城郭です。
このあたりの地域は、気候が温暖な上に海の幸にも恵まれています。武田信玄は若い頃から駿府を狙っていた節があり、現に今川氏の衰退を見計らって駿府に兵を送り込んでいます。その目当ては海産物です。
タンパク源を豊富に自給できるということは、それ相応の軍団を現地で養うことができるという意味です。今も昔も、兵士に食料を与えなければ戦争はできません。
主要交通網であると同時に、食料豊富な土地でもある東海道沿いの諸都市は、江戸時代になると徳川の親藩・譜代の大名が支配するようになりました。過去の教訓から、東海道に信頼できる部下を置かなければ攻め込まれてしまうということが分かっていたからです。
・幕末の東海道
しかし、その防衛機能は幕末には機能しませんでした。
19世紀中葉に差しかかると、徳川譜代の諸藩は弱体化してしまいます。かつての武家の気風はなくなり、藩全体が事務官僚化したのです。さらに各地で倒幕論が浸透していたのも原因の一端としてあります。
戊辰戦争において、東海道沿いでは戦闘はほとんど発生しませんでした。ですがそれに代わり、東海道最大の拠点である駿府では山岡鉄舟と西郷隆盛の会談が行われています。
ここで約束されたことを一言で表せば、「徳川慶喜の身柄を保証すれば江戸と東海道は新政府軍に引き渡す」。
じつはこの時、江戸では小栗上野介忠順が「箱根の関所で官軍を迎え撃ち、駿河湾から艦砲射撃する」というプランを立てていました。ですが徳川慶喜はそれを採用せず、代わりに「東海道沿いの拠点で官軍と和平交渉をする」という提案を実行しました。
「東海道を無傷で進軍できる」という条件で釣って、官軍を丸め込むことに成功したのです。
・手軽な歴史探索
東海道には歴史ロマンが詰まっています。日本有数の史跡の宝庫と言うべきでしょうか。
東京からは、新幹線に乗って日帰り旅行ができる距離にあります。有給休暇など必要ありません。
今度の週末は、東海道の「歴史の門」をくぐってみませんか?
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