【新東方見聞録】仏像を巡るアジアの旅へ

仏教は、「人類史最大級の謎」かもしれません。

アジアに点在する仏教遺跡は、同じ宗教であるはずにもかかわらずその姿がまったく異なります。モンゴルからインドネシアまで、それぞれ気象も自然条件もまったく違う土地で信仰されてきたのですから、仏像の形式も変化していくのは当然かもしれません。

今回の記事で読者の皆さんにご提案するのは、仏像を巡るアジアの旅。

あらゆる顔の仏様が、きっと皆さんの来訪を待っています。

「微笑みの国」の仏様

タイの仏像は、とても柔和な顔をしています。身体も細身で、どちらかと言えば女性的なシルエットです。

この国では13世紀のスコータイ朝時代から今に至るまで、このような形の仏様が崇拝されています。

マレー半島地域は例外として、タイで「宗教」と言えばやはり仏教です。数年前、タイ人で初めてアングリカン教会の司祭が誕生しましたが、この国のキリスト教はマイナー宗教。全人口の0.5%ほどで、しかもその大半は華人かベトナム系の人々です。

仏教が強過ぎて、他の宗教がなかなか広まらないということです。

タイ人にとって、仏様は心の拠り所。日常生活に溶け込んでいます。僧侶は誰よりも偉く、満員電車の中でも必ず席を譲らなければなりません。

仏教は、登山に例えられることがよくあります。たしかにその目的は同一ですが、手段は多種多様です。歩いて行ってもいいし、ロープウェーがあるならそれを利用してもいい。また、そもそも登山道はひとつではありません。

日本人仏教徒から見て、タイ人は反対側の登山道から登ってくる人々と言えます。ですが、目指す先は同じ山の頂上というのも事実です。

中国の石窟仏像

それとは対象的に、中国の石窟仏には重厚な威厳が漂っています。

中国人はインドから仏教を組み上げ、それをオリジナル以上に複雑な体系宗教にした人々です。漢字という表意文字を駆使し、さらに世界一優れた記憶媒体である紙を使うことにより、仏教は世界宗教へと進化しました。

龍門石窟は、南北朝時代から初唐期までの間に確立された一大仏教遺跡。どっしりとした毘盧遮那仏が本尊です。

さて、ここで読者の皆さんに三国志を思い浮かべていただきたいと思います。あの時代、中国で信仰されていた宗教は儒教か道教でした。三国志では道教が非常に強い印象を残しています。その中で仏教はなかったわけではありませんが、まだこの時はマイナー宗教のひとつに過ぎません。

それが五胡十六国時代を経て南北朝時代、隋朝、唐朝に至る過程で、中国仏教は巨大化していきます。龍門石窟は、まさにその只中で築かれた石仏郡なのです。

仏教とは一庶民をも取り込んでしまうほど懐の深い宗教なのですが、それはすなわち「中国人の団結」を意味します。唐朝滅亡後は五代十国時代という戦乱期が50年ほど続きますが、それでも唐朝以前の中国史に比べたら内戦の期間が大幅に減少しました。

そして、中国で育まれた仏教文化は日本にも輸出されていきます。

ボロブドゥールの謎

一方で、東南アジアの仏教は彼の地に世界最大級のミステリーを残します。

タイ以南、マレー半島から現在のインドネシアに至るまでの地域は、今ではイスラム教徒が大半を占めます。ですがそもそもはヒンズー教文化圏、そして仏教文化圏の地域でした。

7世紀末に建てられたボロブドゥールは、今でもその具体的な用途が分かっていません。仏教の世界観を忠実に表したものではありますが、これは屋根のある建物ではありません。しかも、建立から50年もしないうちに上から土を被され埋められてしまいます。

このあたり、歴史学会でも議論が続いています。火山噴火により埋没してしまったという説もあれば、当初から土を被せる予定だったという説もあります。

現在、ボロブドゥールは東南アジアを代表する仏教遺跡として、国内外から多くの観光客を集めています。

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