トルコにある「アルバニア人の村」って?イスタンブール・ボスポラス海峡沿いの景勝地「アルナヴトキョイ」

イスタンブールは、ボスポラス海峡によって大陸がアジアとヨーロッパに分かれるトルコ最大の都市です。この大都市の海峡沿いには「景勝地」と称されるほど美しいエリアがたくさんあります。なかでもアルナヴトキョイは、パステルカラーの住宅とボスポラスの青とのコントラストが絵になる、ヨーロッパ側の歴史ある地域です。

アルナヴトキョイの海峡沿いからはボスポラス海峡やアジア側の大陸、大陸間を結ぶボスポラス大橋を一望することができます。非常に開放的なエリアで、海峡沿いをランニングしたり歩いたりベンチで休憩したり、ときには釣りをする人も見受けられます。

アルナヴトキョイとはトルコ語で「アルバニア人の村」を意味しますが、この地名の歴史は15世紀にまで遡ります。

1453年にコンスタンティノープル(現在のイスタンブール旧市街)を攻略したオスマン帝国のメフメト2世が、1478年にアルバニア親征を開始しました。同年に当時のアルバニアの首都クルヤはオスマンに降伏し、このときにアルバニアの大部分がオスマンの支配下に入りました。

これを機に、メフメト2世はコンスタンティノープルの復興と発展のために多くのアルバニア人兵士や商人を帝都に連れてきたのです。そのときにアルバニア人が住まわされたのがこの地域だったことから、アルナヴトキョイと呼ばれるようになりました。

オスマン帝国以前、つまりビザンツ帝国時代のアルナヴトキョイには、大天使ミカエルに捧げた教会があったことから「天使たちの村」とも呼び親しまれおり、人々の信仰を集めていました。

オスマン軍がアルバニアを征服した当時は、ビザンツの影響でギリシア正教を信仰するアルバニア人がほとんどでした。そんなアルバニア人たちがこの地域に住み着いた後、帝国各地からの移住者も徐々に増えてきて、1900年代前半にはギリシア系以外にもムスリムやアルメニア系、ユダヤ人といった、異なる宗教背景を持つ民族が住まいました。

実際に、海峡沿いから住宅街のほうへ入っていき散策してみると、モスクのほかに教会やシナゴーグが隣り合うように建っているのがわかります。こういった町の造りは、アルナヴトキョイに肩を寄せ合いながら代々住み続けてきた人たちの宗教背景を表しているのです。

また、レトロな木造建築の家屋が多く残っているのも、アルナヴトキョイの町の特徴です。二階窓が外側に張り出している昔ながらの家屋も多く残っており、どこか懐かしい雰囲気を感じさせてくれます。

アルナヴトキョイにはこういった家屋を利用した住宅も多いのですが、美しい景観を好む富裕層が家や別荘を建てたりする、いわば高級住宅街としての一面も持ち合わせています。海峡沿いにはアルナヴトキョイ名物の高級シーフードレストランが軒を連ねており、また改装された古い家屋の一階部分は商店やおしゃれなカフェに生まれ変わり、現在の人々の生活の一部となって町に活気を与えています。

アルナヴトキョイは、ガイドブックにはなかなか載っていない、いわば穴場のようなエリアですが、散策しながらイスタンブールの歴史を堪能できる、どこか懐かしさをも感じさせるスポットです。アルナヴトキョイでボスポラス海峡の風を感じながら散策したりカフェで一息つけば、きっとイスタンブールの新たなる魅力を発見できることでしょう。

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名前 アルナヴトキョイ(Arnavutköy)
所在地 Arnavutköy 34345 Beşiktaş/İstanbul