【日本人が知らないニッポン】戦争と花火大会 夜空の彩りに込められた「慰霊のこころ」(静岡県静岡市)


静岡県で最も有名な花火イベントと言えば、『安倍川花火大会』です。

これは太平洋戦争で犠牲になった人々の慰霊のために行われるイベントで、毎年約1万5,000発の花火が打ち上げられます。開催地は静岡県静岡市の安倍川。今年は7月29日(土)に開催予定です。

日本国内でも長い歴史を持つ花火イベントということもあり、毎年全国から多くの来客を集めています。

・静岡市も焦土に

静岡市が戦時中、アメリカ軍の空爆により未曾有の被害を被ったことは意外と知られていません。

戦争末期の空襲は熾烈を極め、全国の主要都市が焦土になりました。アメリカ軍はドイツの各都市にも大規模な空襲を行っていましたが、日本への攻撃の際には新型焼夷弾を使用しました。日本はヨーロッパよりも木造家屋が多かったからです。

後世にもよく知られているB29という爆撃機は、第二次世界大戦中は専ら太平洋戦線すなわち対日戦に集中投入されました。ヨーロッパは「陸づたいの戦い」ですが、太平洋は「海づたいの戦い」です。すると軍用機の性能には「航続距離の長さ」が求められます。水平線の向こうを目指す長距離爆撃機として、B29は最適な性能を誇っていたのです。

対する日本側は、まったくと言っていいほど迎撃態勢を整えていませんでした。第二次大戦時のイギリス軍は八木・宇田アンテナという、日本人の発明した装置を使い高度なレーダー監視システムを構築しました。その開発者である八木秀次博士、宇田新太郎博士は日本にいるにも関わらず、ガチガチの官僚主義に陥っていた軍は関心すら持ちません。

結局、日本の迎撃航空隊はB29の前に為す術なく敗れ、守るべき都市が灰燼と化しました。

1945年6月19日から翌20日にかけて、静岡市街地に投下された焼夷弾はじつに1万3,000発。西伊豆から駿河湾越しに真っ赤な炎を確認することができたそうですから、まさに地獄絵図と言うほかありません。

そして静岡市が駿河府中と呼ばれていた時代から観察してみても、このような都市破壊は歴史上静岡大空襲のみ。市民にとっては、「暗黒の歴史」と形容する以外にない出来事なのです。

・市内各企業が参加

戦後、ようやく落ち着きを取り戻した時期に安倍川で花火イベントが始まります。

日本人は「儀式好きの戒律嫌い」と言われていますが、多くの犠牲者が出た事故や事件のあとに慰霊の儀式を執り行なおうと考える点は性格的長所なのか、それとも短所なのか。

ただ、そういう性格だからこそ今の安倍川花火大会があるのは揺るぎない事実です。

静岡市は製造業で成り立っている都市。市内に拠点を置く大企業が、毎年花火を出しています。その中でもとくに豪華な仕掛けを披露するのが、三菱電機静岡製作所。多くの雇用を創出している企業として、それにふさわしい花火を見せてくれます。

当日はお弁当持参で、桟敷席のシートに腰を下ろして尺玉を見上げる。静岡市民にとって、この光景が「夏の風流」なのです。

もちろん、戦争の犠牲になった方々の慰霊も忘れません。先人がいるから、今の自分たちがいる。この花火大会はただのサマーイベントではなく、過去の悲劇と向き合い未来の平和を願う「黙想の場」であることをここに明記しておきたいと思います。

・減少する露店

ですが、ここ数年の安倍川花火大会にはある変化が訪れています。

それは以前に比べ、明らかに露店の数が少なくなったということ。

その理由についてここで断言することはできませんが、静岡市民は2014年の「冷やしキュウリ事件」と関係があるのではと考えているようです。

これは、その年の花火大会で露店が販売していた冷やしキュウリが原因で、O157の集団感染が発生したという出来事。全国紙にも大きく取り上げられました。

さらにその前年の福知山花火大会爆発事故の影響もあり、全国各自治体は露店に対して徹底した安全管理を要求するようになりました。それらの要因が、恐らく「露店で提供できるもの」を少なくしているのかもしれません。

このように、安倍川花火大会は年々変わっている点も見受けられます。

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