【日本人が知らないニッポン】奈良時代は「国際交流」の全盛期だった
|日本が「国家」としての土台を構築した時代、それが8世紀です。この頃は一般に「奈良時代」と呼ばれています。
学校の歴史教科で学ぶと、奈良時代は少し地味に見えます。ですが日本史上、じつは奈良時代が最も国際的だったのではないかと言われるほどで、当時の人々は外国から学ぶことにすべてを賭けていました。
「日本の夜明け」といえば幕末を連想させますが、8世紀の天平日本はそれ以上に人々が開明的な時代でした。
・東の唐、西のウマイヤ
世界史から見た8世紀は、国際貿易が拡大した時代でもあります。
東洋には唐王朝が、西洋にはウマイヤ朝が君臨し、両者は商人を通じて様々な物品を売買していました。ちなみにこの頃のヨーロッパのキリスト教諸国は、ウマイヤ朝の進撃を何とか食い止めるくらいの力しか持っていません。現代のスペインの大部分はかつて、ウマイヤ朝を始めとする歴代イスラム王朝が統治していました。
物品の売買は、必要物資に留まらず各国の様々な文化や考え方を伝搬させます。その中で哲学、数学、化学、天文学などの分野が発達していきます。唐もウマイヤ朝も、互いに優秀な学者を抱えていました。
周辺の小国から見れば、このふたつの王朝は紛れもなく「先進国」です。アジアやアフリカの発展途上国の政府が、自国の学生を欧米や日本の大学へ国費留学させるのと同じように、8世紀の日本は若者を次々と唐へ送り込みました。
・唐王朝と紙
中国の歴代王朝は「紙」というものを持っていました。
紙は極めて優秀な記憶媒体です。長期保存ができる上、折り曲げることもできます。西方世界に製紙法が伝わったのは、8世紀中葉です。
紙に裏付けられた膨大な文字記録は、唐の法律や官僚制度を支えていました。「この場合はどうすればいいのか」ということを、場当たり的な措置ではなく正式な記録に照らし合わせて解決できるのです。だからこそ、唐王朝は途中の動乱期を挟みながらも300年存続しました。
日本から派遣された留学生たちは、寝る時間を惜しんで勉強に励みました。「日本人はせっかく手に入れた宝物を売って、その金で本を買い込んでいる」ということが中国側の記録に書かれているほどです。
・平城京と律令制
留学生たちが日本に持ち帰った最大の成果は、律令制です。
もっとも、律令制自体は平城京が築かれる以前からありました。しかし問題は、それを運用するスキルです。律令制、言い換えれば成文法を公平に運用するには、大勢の検察官や弁護士がいなくては話になりません。
奈良時代、日本人は歴史上初めて「成文法で国家を運営する」ということを実現させました。そしてそこから農地拡大政策や貨幣の制定、さらには東大寺大仏殿の建立につながるのです。
ところで去年、8世紀の平城京にペルシャ出身の役人が在籍していたことが判明しました。となると当時の奈良は、我々現代人が考えている以上に国際色豊かな都市だったということになります。
日本人を海外へ留学させるだけでなく、海外から人材を登用していた当時の朝廷。ただひたすら学びに徹するその姿勢は、1300年後の子孫に莫大な財産をもたらしました。
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