バロック様式が美しい!ムスタファ3世によるイスタンブール旧市街のモスク「ラーレリ・ジャーミィ」
|オスマン帝国時代、帝都として栄華を極めたトルコ最大の都市、イスタンブール。大陸がボスポラス海峡によってアジアとヨーロッパに二分され、ヨーロッパ側はさらに金角湾によって新市街と旧市街に分けられる類稀な地形を持つこの街には、エリアごとにまったく違う魅力が隠されています。
イスタンブールの街並みを特徴づけるモスクの数々はオスマン帝国時代に建てられ、その多くが旧市街にあります。その中でもバロック様式の建築が特に美しい、ラーレリ・ジャーミィの魅力をご紹介しましょう。
ラーレリ・ジャーミィは旧市街のファーティフ地区のラーレリにあります。坂道になっているオルドゥ通りの途中にあり、トラムT1線のラーレリ駅とアクサライ駅の間に位置します。旧市街の雑踏に紛れて凛と建つその姿には、誰もが一度は目を留めるでしょう。
このモスクは、18世紀にオスマン帝国第26代目のスルタンとして君臨していたムスタファ3世の命により建設されました。当時の帝国の軍事制度や国家体制が西欧諸国に比べて遅れをとっていると気づいていたムスタファ3世は、帝国の近代化を進めていくと同時に、コンスタンティノープルを攻略したメフメト2世が建てたファーティフ・ジャーミィを修繕したり、イェニカプ周辺の海岸沿いに新しい地区を造ったりと帝国内の建築や土地開拓にも熱心でした。
ラーレリ・ジャーミィは、ムスタファ3世が当時流行していた西欧のバロック様式を従来のオスマン建築に取り入れて造らせたもので、イスラム寺院に西洋の要素を感じ取ることができる美しい仕上がりになっています。
ムスタファ3世は、モスクの建築を当時の宮廷建築家の長、メフメト・タヒル・アー(Mehmet Tahir Ağa)に任せました。彼はファーティフ・ジャーミィの修繕工事のほかベイレルベイ・ジャーミィの建設にも携わり、当時の帝国のモスク建築の第一線で活躍しました。
このモスクの見どころは何と言ってもその華やかな内装です。モスク内部の壁面には赤、青、黄、茶といった色付きの大理石が使われ、オニキスやジャスパー(碧玉)といった宝石も埋め込まれています。重厚感があるモスク内部は彩り鮮やかなステンドグラスから差し込む太陽の光で照らされ、昼間はより華やかな雰囲気に包まれます。モスクの至る所に従来のオスマン建築とはまた異なる華やかさが表現されており、18世紀のオスマン帝国が受けた西欧文化の影響を肌で感じることができます。
モスクは1760年に建設が始まり、1763年に完成しました。モスクの名前は、そのモスクを造らせた人物の名に由来することが多いのですが、ムスタファ3世は自身が信頼を寄せていたイスラム法学者ラーレリ・ババの名を採用しました。
モスク完成から20年後の1783年、モスクの複合施設(キュッリエ)は火災により損傷してしまいましたが、ムスタファ3世や彼の妻のミフリシャー・スルタン、ムスタファ3世の息子のセリム3世が眠る霊廟は現在も残っており、毎日の礼拝の時間には多くの人がモスクと霊廟を訪れます。
イスタンブールの旧市街には、歴代のスルタンたちが建てさせた美しいモスクがたくさん残っています。ラーレリ・ジャーミィを訪れれば、バロック様式とオスマン様式の折衷の裏には、ムスタファ3世が試みた帝国の近代化の意図が隠されていることにきっと気づくことができるはずです。
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名前 ラーレリ・ジャーミィ(Laleli Camii)
所在地 Kemal Paşa, Ordu Cd., 34134 Fatih/İstanbul