【日本人が知らないニッポン】徳川大御所政治の拠点・静岡県静岡市

かつて静岡県静岡市が、「日本の中心」だった時期がありました。

それは、17世紀初頭のわずか15年ほどの間のこと。

関ヶ原の合戦で勝利を収めた徳川家康が、駿府城を拠点に今後の日本の方針を固めていた、僅かの間でした。

そしてその15年間の間、駿府城で練られた江戸幕府の基本政策は、その後2世紀半に及ぶ盤石な体制の基礎になりました。

また、江戸幕府の外交姿勢も駿府大御所時代に決定づけられています。

そう、静岡市はまさに、世界史上稀に見る太平の世を築き上げた土地なのです。

・「ケチ爺さん」の政治手腕
戦国時代を終わらせ、日本を平定した江戸幕府の基本政策は「財権分離」。

財力と権力を敢えて切り離したのです。

どこの国でも、権力者は大変な金持ちです。

皇帝も王様も、蓄積した富を使い豪華な建築物を造ります。ヴェルサイユ宮殿やサンクトペテルブルクの街並みはまさにそれです。

ですが駿府すなわち静岡市には、そうした建物が一切存在しません。

あるのは公園となった駿府城跡地のみ。

徳川家康は、その人格をひとことで言えば「ケチ」でした。

ちり紙1枚なくしただけでも慌てるほどだったそうです。

ですがそうであるが故に、「権力者に財力はいらない」という発想が生まれました。

家康は織田信長や豊臣秀吉に比べたら、あまり人気がありません。

ケチ爺さんはいつの時代もあまり好まれないということですが、それと引き換えに江戸時代の日本は内需が拡大して経済的繁栄を迎えました。

・再評価される家康
駿府城公園では今、天守台発掘作業が進められています。

駿府城にあった昔ながらの施設や遺構は、明治時代に取り壊されてしまいました。

ですから駿府城の天守台や、そこにあったはずの天守閣がどれだけ大きかったのか、そのあたりは謎に包まれています。

一方で、徳川家康の評価は年々上がっています。

現在放映中の大河ドラマ『真田丸』ではどちらかと言えば悪役的な扱いですが、じつは「家康ってものすごい天才じゃなかったの?」という声も多いのです。

今や誰しもがその人物をインターネットで調べることができますから、勧善懲悪型の歴史観が通用しなくなっているということもあります。

その家康が晩年、大御所として政治を司る舞台に選んだのが駿府です。なぜでしょうか?

確かに今川人質時代、家康はこの地で勉学に励んでいたということもあります。

ですが、本当にそれだけの理由で「駿府を日本の中心にする」ということを選んだのでしょうか?

・太平の都
静岡市は、気候が温暖で特産品にも恵まれています。

駿河湾という良質の漁場もあり、食べるものに事欠きません。

海の幸、山の幸、そして畑の幸。

江戸幕府のエコノミースタンスは言うなれば「特産品経済」ですから、それを目指すのに駿府を拠点とするのは理に適っていたのかもしれません。

また、静岡市中心部は「石垣のある街」です。石垣というのはじつに不思議なもので、現代建築の群れを背景にしてもまったく違和感がありません。

土日になると、この周りで写生をする人も見かけます。

静岡市はいまも、むかしも「太平の都」でもあるのです。

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