【日本人が知らないニッポン】日本一の富の象徴・名古屋城天守閣


2016年は名古屋城再建問題が大きな話題になりました。

この問題について、改めて考えてみましょう。そもそも、名古屋城とは一体何なのか?

徳川家康が江戸幕府を作るまで、旧尾張国の中心拠点は清州城でした。若き日の織田信長の居城としても有名だった清洲城は、水害に弱いという弱点がありました。そこで江戸幕府は清州城を解体し、そこで出た資材を再利用して名古屋城を建設します。

以来、名古屋は尾張徳川家の拠点として明治まで繁栄しました。

・ケインズ理論と名古屋城

ところで、イギリスにジョン・メイナード・ケインズという有名な経済学者がいます。

「なぜ名古屋城の話なのにケインズが出てくるのか?」という疑問があるでしょうが、まずはケインズ経済学の解説をさせていただきます。

ケインズの理論とは、「政府が財政支出を行えば市場は活性化する」というもの。国や自治体があらゆる施設に投資を実行し、その結果として国民の所得が向上するということをケインズは提唱しました。

それまでの国家は、「不景気になったら緊縮財政を行う」というスタンスでした。景気が悪くなったら金庫の鍵をかけよう、ということです。ところが、1929年に端を発する大恐慌でそれをやった結果、余計に事態を悪化させてしまいました。

こういう場合、国が積極的に支出拡大を行えば傷口が広がらずに済みます。

じつはそのケインズ理論を、18世紀に実施した政治家が日本に存在したのです。

・「名将軍」に逆らい続けた男

その政治家とは、徳川第7代当主・徳川宗春。あの徳川吉宗と同時期の人物で、かつ政敵でもありました。

将軍吉宗の質素倹約令は日本人の誰しもが知っているほど有名ですが、宗春はその命令をあしらい続けました。それどころか鼈甲の唐人笠を被って馬に乗り、毎日のように名古屋城下で豪遊三昧。そのため、吉宗を主役とする時代劇ドラマでは必ず悪役扱いされています。

ですが宗春の意図は、全国的不景気から名古屋を救うために財政出動を実行したという部分にあります。

宗春は、城下町での祭りや芝居、出店などを推奨しました。馬で町に繰り出したのは、「余が小判をやるから好きなように使え。もっともっと商売をして名古屋を栄えさせよ」ということを町人に直接伝えるため。大金を巷に投じた結果、名古屋は江戸を越える大発展を遂げました。

・名古屋は城でもつ

そして、賑やかな名古屋の光景に金の鯱を掲げた天守閣が加わります。

18世紀当時、江戸に天守閣はすでにありません。明暦大火以降、「もはや戦乱の時代ではない」という理由で天守閣は再建されませんでした。

すでに天守閣はなく、倹約令のせいで火の消えたようになった江戸。一方で豪華な大天守を誇り、連日連夜祭り太鼓が鳴り響いている賑やかな名古屋。当時の人々が「江戸は名古屋に追い抜かれた」と感じるのは、無理もありません。実際にそう書かれた史料もあります。

また、「名古屋は城でもつ」という言葉も存在します。天守閣がシンボルとして君臨しているからこそ、今に繋がる繁栄があるということです。

名古屋城は「城」という領域を超越した、偉大なモニュメントと表現していいかもしれません。

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