【日本人が知らないニッポン】戦火を乗り越えた浅草寺の聖観音菩薩


有名な場所だからこそ、知らなかった知識がたくさんあります。

これを「灯台下暗し」と言うのでしょうか。あまりに身近な存在になっているものは、じつはその全容がまったく知られていなかったりもします。たとえば、雷門で有名な浅草寺もそのひとつです。

浅草寺には、今日もたくさんの参拝客が訪れます。老若男女問わず、誰しもが熱心に手を合わせています。

ですが浅草寺の御本尊は、有史以来たった数人しかその姿を確認していません。

・御本尊を目撃した現代人はいない

日本国内の「絶対秘仏」といえば、長野県にある善光寺の一光三尊阿弥陀如来が有名です。

この仏様は武田信玄や織田信忠、徳川家康、豊臣秀吉ら諸大名の手によって各地を移動したことがありました。ですが彼らの力をもってしても、本尊を開帳させることはできませんでした。

そして、そんな善光寺本尊に並ぶ絶対秘仏が浅草寺の聖観音菩薩です。この寺の創建は西暦628年。聖徳太子の没年が622年ですから、それ以来の長きに渡り浅草を見守っていたということになります。

そしてこの聖観音像を目撃した人は、確かな記録に残っているところではわずか数人。この数人とは明治新政府の役人と、当時の住職です。

政治体制が江戸から明治に移行する時代、浅草寺は明治新政府から「本当に本尊があるのか?」という疑いがかけられていました。新政府は調査のために強引に開帳させようとしましたが、その最中にひとりの役人が謎の事故死を遂げます。

「これは仏罰に違いない」という噂が立ちますが、そんな中でも住職は「自分が御本尊の存在を確認しないといけない」と決心し開帳に踏み切りました。

御本尊が確かに実在したことは、言うまでもありません。

・本尊と「御前立」の違い

「では毎年12月のご開帳は何なんだ?」という質問もあるかもしれません。

じつはそこで見られる仏様は、いわゆる「御前立」というもの。少々悪い表現かもしれませんが、要はレプリカです。

善光寺の7年に1度のご開帳も、御本尊が姿を表すというものではありません。模造品(失礼!)である前立本尊が表舞台を引き受け、正真正銘の御本尊は永久に日の光を浴びず今も佇んでいます。

絶対秘仏の御本尊を「ただの迷信」と言ってしまうのは、非常に簡単です。ですがそこには我々の先祖が歩んできた道筋、爪痕、そして後世へつなぐ思いが刻まれています。日本人がどこから来て、これからどこへ向かうのか。浅草寺の本堂に鎮座する観音様は、未来への方向を指し示しています。

・戦争を目の当たりに

そんな浅草寺の御本尊は、歴史上最大の危機を乗り切っています。

それは太平洋戦争。昭和20年の大空襲で、浅草寺は消失してしまいました。本堂も無残に焼け落ちています。

ところが、御本尊はその直前に青銅製の手水鉢に収められ、地下深くに埋められていました。焼け野原と化した東京の中で、戦火を生き延びた御本尊は終戦直後の日本人の希望となりました。

浅草という地で、日本の発展や悲劇を見つめてきた聖観音菩薩。姿は見えなくても、耳を澄ませばその声は聞こえてくるはずです。 

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