キリスト教とイスラム教の融合!イスタンブール旧市街に残るレンガ造りのモスク「カレンデルハネ・ジャーミィ」

かつてコンスタンティノープルとしてローマ、ビザンツ、オスマンという三帝国の首都として栄えた、トルコ最大の都市イスタンブール。この街の旧市街地には、いまなおローマ時代の遺構や建造物が残されており、イスタンブールの歴史を象徴する観光名所にもなっています。

ローマ時代に造られたキリスト教関係の施設の多くは、1453年にオスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープルを攻略してからはイスラム寺院、つまりモスクに改修されてきました。そのような宗教施設のひとつ、カレンデルハネ・ジャーミィをご紹介しましょう。

カレンデルハネ・ジャーミィは、イスタンブール旧市街を代表するモスク、スレイマニエ・ジャーミィから徒歩10分くらいのところにあります。オスマン帝国時代に造られたモスクの多くの外観とは異なり、重厚感あるレンガ造りが特徴的です。いまではムスリム(イスラム教徒)の毎日の礼拝の場として利用されていますが、その起源はなんと6世紀にまでさかのぼります。

6世紀、この街がまだローマ帝国の領域だった頃、ヴァレンスの水道橋の近くにローマ帝国の公衆浴場がありました。この浴場があった場所に、カレンデルハネ・ジャーミィの元となる最初の教会が建設されたのがこのモスクの起源なのです。

さらに7世紀になると、より大きな教会が最初の教会の南方に建てられ、12世紀になると、現存していた教会の一部を利用してギリシア十字型平面の教会堂が造られました。このギリシア十字型平面を持つビザンツ建築は現存している数が少なく、のちにモスクに改修されてからもその形を留めている点が、カレンデルハネ・ジャーミィの見どころのひとつなのです。

正教会の教会として初代から造られ、増築、改修されてきましたが、ラテン帝国の時代にコンスタンティノープルが奪われると、この教会は十字軍によってローマカトリック教会として使われるようになりました。

1453年のメフメト2世率いるオスマン軍によるコンスタンティノープル攻略以降、この教会はメフメト2世によってイスラム神秘主義のカレンデル(巡礼修行僧)に寄与されました。教会は修行僧によって神学校や公衆の食堂として利用されたことから、この時代以降この建物はカレンデルハネ(巡礼修行僧の家)として知られるようになったのです。

さらに時は流れて1746年、当時トプカプ宮殿のハレムに仕えていた宦官長が、カレンデルハネをモスクに改修するためミフラーブ(モスクにおいてメッカの方向を示すもの)やミンバル(説教壇)などを設置しました。6世紀に教会として造られた建物は、この時にモスクに変わったのです。

このように、ローマ時代から現在に至るまで、宗教の違いはあれど人々の信仰の場として存在し続けてきたカレンデルハネ・ジャーミィですが、そもそも誰のために造られた教会だったのかのは長い間謎に包まれたままでした。しかしその謎も、いまから50年前にようやく明かになりました。

1970年代に大規模な修復工事とこの建物に関する研究が行われた際に、漆喰で塗り固められてきた壁面のフレスコ画が発見され、この建物はテオトコス、つまり神の母マリアに捧げられるために造られたということがわかったのです。

カレンデルハネ・ジャーミィを訪れたら、6世紀の建設当初の名残を感じることができる内部の壁面、そして何世紀もあとに追加されたミンバルやミフラーブに注目してみてください。キリスト教文化とイスラム教文化が見事に融合したこの建物の変遷はもちろん、イスタンブールという街が辿った複雑な歴史をきっと肌で感じることができるでしょう。

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名前 カレンデルハネ・ジャーミィ(Kalenderhane Camii)
所在地 Kalenderhane, 16 Mart Şehitleri Cd. No:11, 34134 Fatih/İstanbul