オスマン帝国の近代化に貢献したマフムト2世とは?イスタンブール旧市街の霊廟「マフムト2世の霊廟」
|トルコ最大の都市イスタンブールの中でも、旅行者で特に賑わいをみせるのが旧市街です。「イスタンブール歴史地区」として世界遺産に登録されているこの地区のど真ん中には、御前会議通りという名のついた大通りが走っています。
オスマン帝国時代に政治の中心として栄えたトプカプ宮殿の御前会議所に続くこの通りは、歴代のオスマン帝国の宰相や官僚たちがが歩いた通りで、現在は土産物屋や商店、ホテルなどが軒を連ねている、旧市街の目抜き通りになっています。
そんな旧市街の目抜き通りにある、一際目を引く美しい建築が「マフムト2世の霊廟」です。この霊廟は、亡き父マフムト2世のためにアブデュルメジト1世が造らせたものです。当時、旧市街のこの一等地に邸宅を建てて住まっていたのはマフムト2世の兄妹であるエスマ・スルタンでしたが、彼女は土地を譲り渡し、マフムト2世の霊廟建設に同意したのです。
モスクを想起させるドーム状屋根の建物、そして装飾が美しい柵に囲まれたこの敷地内には、オスマン帝国第30代皇帝マフムト2世やエスマ・スルタン、マフムト2世の息子のアブデュルアジズ、孫のアブデュルハミト、そしてその子息たちが眠っています。
旧市街のど真ん中にある美しい霊廟で眠るマフムト2世は、1808年に即位したのち、帝国の西洋化、中央集権化を推し進めて、危機的状況に陥っていた帝国の再生を図ったスルタンとして知られています。
彼の功績の中で最も注目に値するのは、200年以上も帝国の実験を握っていたイエニチェリ旧式軍の廃止に成功したことでしょう。
マフムト2世の時代のオスマン帝国では、イエニチェリはセリム3世が編成していた洋式軍の再建を試みていた大宰相アレムダル・ムスタファ・パシャを殺害するなどして、反西洋化改革勢力として権力を振るっていました。
これに対して1826年、マフムト2世は新軍団設立を宣言してイエニチェリを挑発し、新式の装備を整えた砲兵隊がイエニチェリを一掃しました。マフムト2世は、新軍に「ムハンマド常勝軍」という名を付け、帝国の西洋化に貢献したのでした。
また政治の面では、大宰相の権力を縮小するとともに、外務大臣や内務大臣、財務大臣といった大臣職を置き、オスマン帝国の伝統的な政治体制を西洋式の内閣制度に近づけました。教育の分野では、軍医、音楽、士官学校を創設し、優秀な人材は西洋に留学させました。彼らはのちのエリート官僚層を形成し、オスマン帝国を近代化に寄与したのです。
様々な分野で、帝国の西洋化、近代化を進めたマフムト2世は、のちにドルマバフチェ宮殿やベイレルベイ宮殿、チュラーン宮殿といった西洋風の建築物をイスタンブールに造らせたアブデュルメジト1世とアブデュルアジズの父親でもあります。
このように帝国の進歩に寄与したマフムト2世が眠る霊廟は、旧市街の活気に満ちた大通りに面しながらも、一歩足を踏み入れると、静かで厳かな空間に満ちています。美しい霊廟内には、彼の業績を称えるかのような西洋風の装飾が施されています。窓枠の造りや天井の装飾がそれを象徴しているのがわかるでしょう。天井から吊るされた豪華絢爛のシャンデリアは、イギリスのヴィクトリア女王からの贈り物です。
イスタンブールの旧市街を訪れたら、アヤソフィア博物館やブルーモスク、トプカプ宮殿を見学するのはもちろん、西洋化の先駆者マフムト2世が眠る美しい霊廟にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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名前 マフムト2世の霊廟(Sultan 2.Mahmut Türbesi)
所在地 Mollafenari, Türbedar Sk. No:15, 34120 Fatih/İstanbul